アクセス・バーズ講座を受講された方から、自分を「好き」であることと、自分を「信頼する」ことは違うのですか?という質問をいただきました。



私のなかでは

●自分のことを好きである、とはどういうことか

●自分を信頼する、とはどういうことか

●そのふたつはどう違うのか

というテーマは、アクセス・バーズというツールの講座とは関係のない領域にあります。

日常生活において、感じたことを質問されているのだと思いますが、そういった疑問そのものをもつ方は、ほかにもいることでしょうからブログに書くことにしました。(いつも書くとは限らない)

●好きでなくても信頼はできるし

●信頼していなくても好きではいられる

ただし

●好きであるほうが、信頼しやすくなるし

●信頼しているほうが、好きになりやすい

とは言えます。

自分のことを嫌いなよりは、好きなほうが良いのかもしれませんけれど「好き」とはある種のアタッチメント(愛着)です。

「好き」がある以上は、「嫌い」を同時に生成するわけで、エゴの領域と深く関わっています。セルフイメージに対する執着にもつながります。

自分を好きであることが、自分を不自由にすることもある、ということです。

「私はこんな自分も、あんな自分も大好きです」という状態で生きている場合、自分以外の第三者の目からは「そんなの知ったことか」であることが多いとしても

A.自分を見つめる目、自分を感じる自分が

B.見つめられる自分、感じられる自分のことを

好きでたまらないわけです。

自分を構成する断片的な自分(カケラ)相互の絆は強く、強力ボンドでくっつけたかのような一体感、個人のなかでの全一感が高まると思います。

幸せに生きたいならば、「自分が好き」であることが早道ですね。≪内的な幸せ≫が保障されます。

一方の、「自分を信頼する」こと。信頼というのは、エゴの部分的な明け渡しだと思うのです。信頼しても裏切られるかもしれないわけですから。

「それでも信頼しますか?やめておきますか?」つまり、裏切られるかもしれないけれど、それをも折り込み済みで自分(エゴ)による、自分(だと思っているもの)に対するコントロールを手放せるかどうか。

それをする、できるということであれば「“自分” を信頼している」ことになります。ここでの「“自分”」とは、すなわち「宇宙」でもありますね。

私の個人的な感覚で言うと、自分に対する信頼が高まっていく、自分を信頼する場面が増えていくと「私は自分のことが好きなのだろうか?」という視点が消えていきます。(エゴにとっては、「自分のことが好きか/嫌いか」が重要なテーマなのかもしれないけれど、そんなん、どうでもええわ、となっていく)

自分が大好きなのはイイんですけれど、自分が大好きなだけの人を自分を信頼して、どんどんアクションを選択していく人に比較すると、自己発見の伸びしろが少ないし、ブレイクスルーの規模が小さい傾向にあると思います。

「自分大好き」(自己受容)は、前提としては素晴らしいと感じるのですよ。それがあることで、相乗的に「自分への信頼」(自己開拓)へと向かう可能性が高まります。

でも、その段階に至ったところで留まらず、それを手放しての「信頼」に向かうと、人生には、より大きな変革が起きる、ということだろうと思います。

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