イスラエル旅行での気づき、第五弾。

第四弾はコチラ



三大宗教の父でもあるアブラハムは

神より、「息子イサクを神に捧げよ」と命じられ

最愛の息子を生贄として捧げるべく、命じられた場所へと向かいました。

 

イサクを横たわらせ、アブラハムは剣を振りおろします

 

“イサクの燔祭” と呼ばれる逸話です。

父と子の、大トラウマ、大ブロックを作りそうな一大事です。

アブラハムが、息子イサクを神への生贄としたとされている場所に、“岩のドーム“が作られている(金色のドーム)。エルサレムにあり、現在はイスラム教徒が管理している。「今は危険だから」ということで、見学には行かず

パレスチナ自治区であるベツレヘムでは

降誕教会とグロッタ教会に行きました。

 

パレスチナ北部の町である

ナザレで暮らしていたマリアには

ヨセフという婚約者がいましたが

処女懐胎をしたと伝えられています。

 

当時パレスチナを支配していた

ローマ帝国の政策により

ヨセフの出生地であるベツレヘムに

住民登録をするため身重で出向きます。

 

その際、イエスが生まれた、ということです。

ベツレヘムの降誕教会。星型のあるところで、イエスが生まれたとされている
ベツレヘムの降誕教会。星型のあるところで、イエスが生まれたとされている

新たなユダヤの王が誕生した

という噂を耳にしたヘロデ王は

ベツレヘムの2歳以下の幼児を虐殺することに決めました。

 

それを逃れるため

生後間もないイエスを連れ

ヨセフと聖母マリアはエジプトに向かいます。

 

その際、マリアの母乳が溢れ

石が真っ白に変わったと言われている場所に、グロッタ教会があります。

静謐で清らかな感じのする教会でした。

ベツレヘムのグロッタ教会。新しくユダヤの王が産まれたという噂を耳にした王が、ベツレヘムの2歳以下の幼児を虐殺することにした。産まれたばかりのイエスを連れ、ヨセフと聖母マリアはエジプトに逃げる。その際、マリアの母乳があふれ、石が真っ白に変わったと言われている場所に建てられた
ベツレヘムのグロッタ教会

宗教的史実の

どこからどこまでが本当にあったことなのか

それはさておき

上記からは

親が「宇宙(神?)から求められた(渡された)役割を果たしている」ことが見えてきます。

 

私もセッションなどで、

“どんな両親だったのか”

“両親からどんな影響を受けたのか”

といったお話をうかがいます。

 

科学的に証明する手立てはないので

話半分に聞いておいていただければと思いますが

親と子の間で

基本となるカルマやブロックが

わざわざ作られるというよりは

子供が持って生まれた

個に由来するかどうかを問わず

担当することになっている

カルマという “種子” の中核に

スイッチを入れて起動させる。

 

その大きな役割を果たすのが親である、とも考えられるわけです。

 

生きている間に出会う人たちが

自分のフィルター(カルマやブロック)を

映し出す鏡であるとするならば

親との間で起きることも

また同様であり

(この部分だけを例外とする理由が見当たらない)

 

「親のせいで私はこうなった」

という理屈は、大筋で成り立たなくなります。

 

・・・というふうに考えていくと

すべての源は、やはり自分である、となります。

 

ただし

この世で起きていることすべての発生起因が

「私」という個のなかにある、とはみなしていません。

 

Aという “種子” をもった私と

Bという “種子” をもったあなたが出会ったとき

どんなタイミングで

何が起きるかは可変である

(あるいは縁起である)

という立場を、私はとります。

 

オススメ関連記事: