たまには、こちらのブログの更新もしたいな~とは思うのですが、話題が、どこかしらで瞑想にかすっていないと書きにくいということで、滞っています。

もうひとつのブログは、瞑想というカテゴリーにとらわれる必要がないので、書きたいことを書いています。

「あなたの文章は横に長くて読みづらい」と指摘されたことがあり、以来10文字程度で改行する方式に修正して、今までやってまいりました。

一方で最近、Google先生の推奨する書き方に変化がもたらされたようなので、これを機会にGoogle先生推奨方式に転換してみます。

臓器のなかで 『子宮の声』 だけが聞こえるということは考えにくい

何年か前から耳にしたり、インターネットを中心に目にしたりするようになってきた『子宮の声』という言葉。

『子宮の声』に従うと、人生が自分らしくホンモノになり、かつ上手くいくらしいのですが、本当でしょうか?

本当かどうか以前の問題として、『子宮』が何かを主張することがあるのでしょうか?

ないとは思いませんが、『子宮』が声を上げているとしたら、胃腸も心臓も肺も腎臓も肝臓も(以下略)声を上げていると思いますね。

それらの臓器の声に耳を傾けないことで、病気になる人がたくさんいます。

なぜ『子宮の声』を重視するのか

私は『子宮の声を聞きましょう』ということを提唱する側の人間ではないので、この問いに対し、私が答えるのには無理があります。

しかし想像してみますに、『子宮』は女性にしかない臓器で、新しい生命が宿り、育み、地上へと生み出す場所。

恐らく、ある種の神性が宿り、宇宙の神秘とつながるパワースポット的な位置づけなのでしょう。

多産・安産を司る存在を祀り、お参りにいくような「〇〇宮(水天宮とか)」がマクロコスモス(大宇宙)だとしたら、『子宮』はミクロコスモス(小宇宙)のようなものかもしれません。

したがって、大宇宙とつながる『子宮の声』を、『天の声』や『宇宙の声』とみなす人達が出てきます。

無意識を司るのは 『丹田(スワディスターナチャクラ)』 と 『松果体(アジナチャクラ/第三の目)』

ところで、『子宮』と被る位置にあるエネルギーセンターに、『丹田(スワディスターナチャクラ)』というものがあります。

『丹田』は、無意識を顕現させるセンターです。

『松果体(アジナチャクラ/第三の目)』は、無意識の中枢と言われています。

そのふたつが、バランスよく活性化されていくのが好ましいわけです。

そして『子宮の声』とは、『子宮』そのものというよりも、『子宮』と関連しながら動く、『丹田』の働きからやってくるものなのでは?と私は思います。

女性のほうが『丹田』が動きやすい?

女性としての集合無意識や個人のカルマが、もちろん『子宮』には存在します。

生命エネルギーとも密接に関わる『子宮』が、『丹田』の近くにあることから、女性は男性よりも『丹田』が動きやすい面があると感じます(個人差はある)。

グラウンディングの強さは、『丹田の力』と関係があります。

例えば夫婦でも、現実に対処するのは女性の側で、男性は妻の力なしには日常のことをうまく運ぶことができなかったりします。

男性は能書き的なことを言うのは得意ですが、現実への具体的な対処にさほど長けていません(とりあえず現代においては)。

例えば、ご近所付き合いとか、いろんな人からなる職場にポンとアルバイトで飛び込んで上手くやっていくとか、老人ホームで楽しく暮らすとか。

男性より、女性のほうが適応力があって、たくましい。

言い換えれば、女性のほうが、グラウンディングが上手ということです。

“大地” が “母” に喩えられるように。

そして『子宮の声』を聞こうと強く意識を向け続けることも、近くの無意識の顕現を司るエネルギーセンターである『丹田』が動きやすくなる要因と考えられます。

無意識に支配されないためには知恵や知性も大切

『子宮の声』提唱者たちが、『子宮』(≒『丹田』)に己の自治権を明け渡すことによって、子宮のカルマや無意識(個人・集合)の影響を強く受けるようになったと考えると、それらに流されて生きているように見える姿にも合点がいきます。

恐らく、その信奉者たちも、その反応や行動の多くが、無意識の領域に支配されています。考えることを放棄するように促されているであろうから、なおさらです。

無意識的なものからやってくる反応や行動に従う生き方なので、自分では、自分が無意識の世界に操られていることに気づくのが難しい。

知恵と叡智のセンターとのつながりを適正なものとし、バランスの取れた人生を送られるとよいのでは、と思います。

「感じて生きる」ことは大切ですが、偏ることによって生まれる問題もある、ということです。

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