悟った人、覚醒者でない限り、私たちの思いや行為の背景には、カルマがあり続けます。

 

「何となく、していること」は、何ひとつありません。

 

マインド的理解の後ろにある、もわーんとした正体不明の、でも、私たちの思い・行為を現象へと押し出しているもの、それがカルマ。

 

ゆえに、すべての思い・行為が、純粋であることは難しく、気づいていても、いなくても、カルマを通して出現します。

 

人助け(だと思っていること/していること)もカルマ、

人を貶めようとすることもカルマ、

人の世話を焼くのもカルマ、

人に世話してもらいたいと思うのもカルマ、

好きなのもカルマ、

嫌いなのもカルマ、

ワクワクに従うこともカルマ、

不安から行動することもカルマ、

スピリチュアルに傾倒するのもカルマ、

スピリチュアルを嫌うのもカルマ、

私がこのようにブログを書くのもカルマ(笑)。

書くことがカルマならば、書くのを止めておこう、と考えるのもカルマ。

 

お上手を言うのもカルマ、

毒舌なのもカルマ(正直とか、あるがままとかとは、本質的に異なる)。

 

カルマから離れて、自分のカルマを見るのは難しい。

(他者のカルマは、よく見えるし、よく分かる)

 

悟った人、覚醒者は、あたかも狂人のようなもので

この世的善人とは、かけ離れている、と言いますが

定常的な、いかなる軸の中にも存在しない、ということです。

 

瞑想を実践することで

着実にカルマは減っていきますけれど

その人自身にとって

減らしたいカルマが減っていく、とは限りません。

(と言うか、私を含め、自分のカルマが何なのかを分かっている人は少ない)

 

そしてまた、瞑想に何か期待があって実践している間は

カルマから自由であるとは言えない、ということになります。

 

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