私は昔から

じっと見つめたときに

視覚がキャッチする

「珊瑚」の細かな模様が

気持ち悪くて仕方ありませんでした。

(イメージが湧かない方は、珊瑚の画像を検索して、よく見つめてみてください)

 

「珊瑚」に限らず

よく見ると

同じ図柄が

びっしり詰まっているものが嫌いです。

 

…という話を

以前したところ

「そこにカルマを見ているんだよ」

と言われたことがあります。

 

「よく見ると、びっしりと同じ図柄が詰まっている」

とは

「図形において、部分と全体が自己相似になっているもの(フラクタル)」

と言ってもいいかもしれません。

 

つまり

原初のカルマを含む

極小の要素を

より大きく映し出したものが

ここにいる「私」であり

 

反対に

心や身体に代表される

粗雑で掴みやすい

「私」を分解すると

 

どこまで分解していっても

そこには等しく

「嘘偽りのない私の構成」が表れていて

すなわち原初のカルマを保持している。

 

大雑把なたとえ話をすると

原初の要素が

 

「本質からくる光」 50%

「カルマ」 45%

「その他に起因する要素」 5%

 

で成っているとしたら

 

今、ここにいる「私」の

為すこと

言うこと

思考パターンの構成も

 

「本質からくる光」 50%

「カルマ」 45%

「その他に起因する要素」 5%

 

つまり

「部分と全体が自己相似になっている」

ということ。

 

ことわざで言うと

「一事が万事」

が、それに近似的かもしれません。

 

極小のカルマは

粗雑に物質化した「私」に

すべて反映されています。

(心も物質に近い要素から成る)

 

表面的なところを整えていても

美しいビジョンを語り

善行を施していたとしても

 

それすらも背景に

幾ばくかの

ある傾向をもった

カルマがあってのこと。

 

カルマ的思考が

生み出す筋書きに対し

 

その人のカルマが

カルマにとって

都合のよいように

物事の解釈をします。

 

過去に

「この世にカルマはない、ということに私は気づきました」

と言う人に出会ったことがあります。

 

(視点をどこに置くかによって、カルマのない次元もありえますが、人間が生きている、この世界にはカルマがあります)

 

たとえば

そういう思考を生む

背景にも

等しくカルマが

動いているのですが

 

カルマ的思考は

それに気づかせないように

カルマを正当化する方向へと導きます。

 

エネルギーからは

その人自身の本質が

何となく伝わるものです。

(カルマがある程度クリアか、そうでないか。言葉と行為からなる表の顔と、エナジーレベルで逆行する裏の顔など)

 

それに比較すると

言っていること

していることは

 

お互いの真実から

ズレたものであっても

表面的な要素によって

誤魔化されやすい

 

それでも

注意深くあると

いろんなカルマを

言葉や行為が

見せていることに気づきます。

(自分も含めて、です)

 

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