「新疆ウイグル自治区→キルギス→カザフスタン→ウズベキスタン」の旅から帰ってきました。

(キルギスにて)

 

もうひとつのブログで

この旅に関連した気づきについて書いています。

シルクロードの旅から帰ってきましたよ~今の自分はすべて虚構

生きづらさの正体~シルクロード(2)

『本当の自分(魂の声)』と思うものすら『カルマ』~シルクロード(3)

価値観と結び付いたものに普遍性はない~シルクロード(4)

 

さて、私には

あるときポッカリと意識を失い

再び意識を取り戻す、

ということが

しばしばあります。

 

瞑想中よりは

瞑想をしていないときのほうが

起きる頻度が高いです。

 

全身麻酔で

手術をしたことのある人には

イメージが湧きやすいかと思います。

 

ポカッとどこかに意識が落ちて

通常の脳の認識機能が停止/麻痺し

ある時点で

それらをいきなり取り戻す感じです。

 

私は意識を失くす前よりも

取り戻した後のほうが

すべての感覚が明晰になって

すっきりしています。

 

この現象なのですが

意識が戻ったとき

物理的に

どこからどこまでが私か、

自分が誰か、

ということからして分からないのです。

 

目は見えるし

音も聞こえるけれど

どこにいるのか

名前や

私に関する情報をすべて見失っていて

 

それを取り戻すように

脳が機能し始めるまでに

若干の時間を要します。

 

そういった体験を通して感じるのは

 

生きている人間は

マインド(脳機能)によって

 

何が自己で

どこからどこまでが自分なのか等を

アイデンティファイすると言いますか

 

自分を全体から分離させ

定義づけることによって

時間軸における「自分」や「個体性」を

つないでいくこと

辻褄を合せること

を可能にしている、ということです。

(それができないと、この世で生きるにあたり、はなはだ不便)

 

個体性のある人間として

認識できる

意識のギリギリの果てが

どの辺りにあるのか

よく判りません。

 

今も流行っているかどうか知りませんけれど

非二元的な認識世界においては

私の体験をベースとするならば

これといって喜び的なものはないように思います。

(悲しみや苦しみもない)

 

一瞥体験と言われるものがあり

喩えようのない歓喜に打たれたりする場合があるようです。

(以下は私の検証によるものではありませんが)

一瞥体験って、女性よりも、男性に多く訪れるものだそうです。

それはなぜかというと

固いマインドをもっているからです。

 

ある固い殻が

自分ではコントロールできない

力によって破壊されたとき

今まで

強く押しとどめられてきた類のエナジーが

一気に流れ込んでくるイメージです。

 

歓喜や至福があるのは

素敵なことですし

 

一瞥体験と言われるものにも

いろいろあろうかと思いますが

 

「歓喜」があるならば「歓喜ではないもの」があり

「至福」があるならば「至福ではないもの」がある世界の話なので

 

非二元の世界とはまた違うものであると

私個人は感じます。

 

オススメ関連記事: