新品同様の、キレイなマッサージテーブルを譲っていただきました。

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さて、このところ感じること。

人間って、学べば賢く(より心地よく、でもいいかな)生きられる、と思っているところがあるのではないでしょうか。

 

こういった精神世界系の学びに関心のある方も、それは同じ。

むしろ、そういう方のほうが、現状を変えたい、現状から変わっていきたい意向が強いかもしれない。

 

学びによって

より摩擦少なく生きていくことができるようになったとしても

人間とは、依然として愚かだと思うのです。

(そんな人間が好き、そうだからこそ素晴らしい/愛すべき、といった話は、ほかの方や、別の機会に譲ります)

 

いろんな出来事があり(それはいつも同じ)

そのひとつひとつに関して感ずるところも諸々ありましたが、今朝一気に俯瞰する瞬間が訪れました。

 

死をもって、この肉体を離れるとき

その人生のあれこれを、映画や走馬灯のように眺める(見させられる)瞬間がありますが、そんな感じです。

自分で思考したり、意図したりしたのではなく

それは勝手に起きました。

 

学び(瞑想を含む)によって

ステージが上がると言うか

より賢い(叡智あふれる、でもいい)存在になることができる人・場合もある。

 

でも、学んでいるから右肩上がり。

そういうわけでもないし

自己認識(私は頑張っています/努力しています/やっています感)はともかく

学ぶことで、むしろお馬鹿さん(鈍い人)になっていくこともある。

 

どちらであっても

その人の選択であるし

それを体験したくてやっているのだろうから

それでいいとも言えますが

 

恐らく、これからの時代は

それをやっている暇や余裕が許されなくなっていきます。

 

「学びによって、より摩擦少なく生きていくことができるようになったとしても、人間とは、依然として愚か」

というのは、何かと比較して

アタマがいいとか悪いとか、知識があるとかないとか

破綻が少ない/穴が多いとか

要領がいいとか悪いとかを基準に表現しているのではありません。

 

自分の周辺の

小さなところでダルマに乗っている感じがしている

そこまででよしとするかどうかです。

 

人間は、自分から見える

身の回りのことが上手くいっていれば

おおよそ満足するし、用意された課題やテーマをクリアしたと思いがち。

 

経済、対人関係、仕事など

今まで上手く行っている感じがなかったものが

スムースになってきた、それはそれで良いと思うのです。

 

あえてイバラの道を選びましょう、というような、スポ根的世界、修行ちっくな道を推奨する気はありません。

 

今朝見た俯瞰から言うと

どこで何をしていようとも

そこにわずかでも隷属的なマインドがあるのであれば

どれだけ上手くいっているように感じたとしても

その瞬間においてゲーム(人生)は失敗なのだ、ということです。

 

祈っていようと、瞑想しようと

エネルギークリアリングしようと、善行を積もうと。

 

立場が、指導者や教師であろうと、付いていく側や生徒であろうと。

ゲームオーバー、最終的には、輪廻の道(新たなゲーム)をもう一度、となります。

 

究極には、いい/悪い、成功/失敗といった二元の世界も

カルマも輪廻も存在しないのでしょうが

現象の表裏を合一する段階に至るまでは

それらが存在するとされる世界に軸足を置いて生きることになります。

 

人生の学びでは、隷属的マインドが

その根底にある瞬間は、重要度の高い

宇宙目線で大切なことを受け取れない仕組みになっています。

(宇宙も親切なのか、撒き餌での誘導はしてくれます)

 

何%の人が、であるとか

何人中何人が、といったことは分かりませんけれど

隷属的マインドのない人は、ほとんどいないと思われます。

 

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