先日の「ふたつの無意識」は

ラジニーシ(OSHO)の

空の哲学 (タントラ秘法の書)」に基づいて書いています。

 

同書内に

面白い問答がありましたので

ごく一部を短く要約して

紹介したいと思います。

 


[質問]

直感で生きる人間は、つねに成功するでしょうか?

 

[回答]

そんなことはない。

でも、つねに幸福だ-成功しようがしまいが。

また直感に生きない人は

つねに不幸だ-成功しようがしまいが。

 

内なる導き手(真の無意識)に

従ったからといって

必ずしも成功するとは限らない。

 

しかし

イエスやブッダの認める成功

という意味では成功し

その基準は幸福、至福だ。

 

多くの人にとって、成功とはエゴだ。

至福ではない。

 

他人から

「あなたはうまくやった」

「あなたは素晴らしい」

「成功者だ」

と言ってもらいたいだけだ。


 

外側に果実を求める者は

多くが直感で生きていないので

他者の目から

「成功者」であっても不幸であり

 

内側の至福を大切にする者は

他者の目から

「失敗者」であっても幸福であり

“内からの導き手” に従うことで

人生において

常に成功を収めている

 

という趣旨のことを

OSHOは言っています。

 

それを受けて、私が思うこと。

 

内なる導き手によって示される方向性が

至福に満ちて素晴らしくても

 

マインドを上手く活用しないと

(OSHO一派は、マインドが嫌いなようですが)

直感に基づく方向性という漠然としたものを

 

現実という

具体的かつ細かな実行レベルへ

落とし込むプロセスで「失敗」します。

 

OSHOは

「直感を生きていない、外側の社会で成功しようとしている人たちは、イエス・ブッダの視点における失敗者だ」

(↑ 外側の社会で成功しようとしている人たちは、直感と至福を大切にしていないので、概ねOUT)

「直感に従うことで、至福のなかにいる人たちは、社会的に成功していなくても成功者だ」

(↑ 至福のなかにいればOK。そこから先はどうでもよい)

と言っているわけでして

 

この線引きでいくと

内側の至福を大切にする人たちは

外側の果実(社会での成功)を重視しないので

 

他者の目から見て

おのずと

社会的「成功者」であることが少なく

現実対応の不得手な人が多い

という帰結を迎えるように感じます。

 

社会的に「失敗」しても

幸せなんだから、それでいいのでしょう。

 

また他者の社会的「成功」をサポートするのが

自分自身の「内的な至福」という場合を除き

 

周囲が、至福の人たちの

外側や社会的「成功」を

あえて支えるまでもないとも言えます。

 

内的に幸せな

すでに完璧/十全な人であるにも関わらず

 

ほかの人たちが

自分たちのマインドを投影して

「それだけでは不足」とばかりに

 

幸せな人たちの

社会的な事柄に干渉するのは

余計なお世話&お節介。

 

かつ

周囲の人たちにとっても

その幸せな人たちに対するサポートが

 

周囲の人たち自身の

内側の至福に向かうものではなく

 

外側の社会での「成功」を意識した

マインド&エゴの行為であるならば

 

みんなひっくるめて

イエスとブッダの視点からの失敗&不幸へと

向かう人生の道筋を作ることになります。

 

OSHOが言っていることは極端ですね。

でも、言わんとすることは分かります。

 

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