この世に生きている、普通の人間として

瞑想とは、「瞑想のために行なう」ものではなく

「瞑想以外の人生(時間)のために行なう」、という場合が多いように思います。

 

つまり、瞑想とは生を探求するにあたっての

ひとつの手段であり、瞑想そのものが目的ではない、ということですね。

 

出発点は確かにそうなのですが

瞑想をずっと続けていくと

瞑想という体験そのものが深耕されていき

「瞑想のために行なっても面白いもの」となることがあります。

 

その地点にハマってしまうと

魔境(自分をすごい人間だと思い込んで、精神のバランスを崩す等の状態)となりがちですから、多少の注意が必要かもしれません。

 

触覚が鋭敏でない段階では

ザラザラの物体を触っても

ツルツルの物体を触っても

違うモノとして認識できなかったりします。

 

目隠しをして飲むと、ビールの銘柄の違いを当てられなかったりします。

 

瞑想も、それと似ているところがあり

認識力が増していくことにより

瞑想にも感知しうる範囲で異なったゾーンがある、ということを知る体験が出てきます。

 

しかし、それを大げさに受け止めることなく

淡々と変わりなく、日常生活を送るとよいと思います。

 

ただし、そういった体験が増えていくと

人間としての生、日常生活というもの

人生全体の捉え方が自ずと変化するということがあります。

(そういった体験がなくても、瞑想は、人生の質を変えていきます)

 

その意味で、瞑想体験の位置づけが変化し(実存に対する感覚が変化し)

その変化によって、人生が変化する、というのも興味深いあり方と思います。

 

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常にすべては「今ここ」にある

 

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