週末、フルフィルメント瞑想ではない

瞑想のセミナー参加のため、東京に行っていました。

(スマホを眺めながら、ウロウロする人達がここにも)

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昨日は、土用の丑の日。

弟が、ひつまぶしを作ってくれました。

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瞑想にせよ、ヒーリングにせよ

そのツールを導いている高次の存在があります。

 

私が感じるには

それらの存在との縁が深いほど

そのツールを使ったときに効果が上がります。

 

したがって

厳密に言えば

縁のある存在は

その人ごとに異なるため

効果を上げるツールも

その人ごとに異なります。

 

「どんな瞑想よりも、フルフィルメント瞑想を愛する」

多くの瞑想教師のなかで

私は、恐らく異色であり

「フルフィルメント瞑想は、私が愛するいくつかの瞑想法のうちの1つに該当します」

というタイプの人です。

 

私の初めてのフルフィルメント瞑想体験は

ハートマントラの伝授を受けたときです。

 

伝授の際、プージャというセレモニーを行ないます。

 

“伝統” をつなげてきたマスターたちへの

お供えのお花と果物を持参します。

 

私は深い考えなしに

“ココナッツ”

を買って持っていきました。

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今思えば

随分と珍しい果物が

そのとき、偶然にも

日本のスーパーマーケットに置いてあったものです。

 

“ココナッツ” は

プージャにおいて

人生のすべてを満たす

“完成” の象徴として扱われます。

 

私の瞑想の先生は

それを根拠に

(ほかにもあるのかもしれないけれど)

 

私をフルフィルメント瞑想の

“伝統” に繋がる人であると感じていたようです。

 

実際フルフィルメント瞑想の実践については

長きにわたり挫折することなく

 

私の生活の一部となり

私の人生を変え

結果として

公認教師にまでなりました。

(教師にならない、という選択肢もあるわけです)

 

恐らく

縁があった、ということなのだろうと思います。

 

私は

フルフィルメント瞑想の創始者である

ボブさんとの間に

深い縁を感じません。

(そんなこと、言っていいのか、ですが)

 

しかし“伝統” のなかでも

ババジとの間には

霊脈のつながりがあるように感じますね。

 

縁あればこそ

フルフィルメント瞑想が私のなかで効果を出した。

これはひとつの真実だと思っています。

(つづく)

 

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