毎日、暑いですね。

ここ2年は、8月をチェンマイで過ごしていましたので

久しぶりの日本の夏。

日差しが強く、とにかく、あっつい!!

ちょっと外にいただけで、汗が吹き出します。

 

犬がいるので、24時間、エアコン体制。

「床が、きもちいいわあ」

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さて、前回までの続きです。

 

私の実践している瞑想法について

個をどう扱うかを基準に

大雑把に分類してみると

自己肯定系と自己否定系となります。

 

日本で “瞑想行” と言われてきたものには

自己否定系が多いのではないでしょうか。

 

ここでの自己否定とは

「私ってダメな人」

とかという

自分に対する否定的なジャッジを指すものではありません。

 

名前があって肉体がある

三大欲を始めとした欲求や欲望があり

限定された分離の世界で

有限の何かを獲得することによって生きる

そんな個としての存在を超越する、

という意味での自己否定です。

 

実践している瞑想法のうち

どちらかと言えば

自己肯定系と思われるのが

フルフィルメント瞑想です。

(自己否定的要素を、あまり言うことがない。瞑想をする者に対して、修行を説くのではなく、人生に対するポジティブな動機づけを行なう点がアメリカ的だと思うわけです。日本の子供が、良くないところを叱られて育てられがちであるのに対し、アメリカの子供は良いところを褒められて育てられることが多い、そういう文化の違いみたいな感じですかね、喩えるとするならば)

 

もちろん

フルフィルメント瞑想も

カルマの解放の必要性を説き

それによって意識を進化させ

啓発へと導くものではありますが

 

コテコテの個の欲にまみれた人間である現状から

啓発(エンライトメント)への距離感・道のりが短い印象であると同時に

 

この世的欲や我欲を

強く否定することもない、という点で

現実と浮世に

軸足を置いて生きる人たちの生活に即している感じがあります。

 

それに対して

自己否定系では

“現在の自分” と “目指す超越した在り方” との距離が遠く

そこに至る道のりを

険しいものと捉えているように感じられます。

(“魔” や “お試し” の出てこない瞑想など、まだまだレベルの低い段階だ、など。イエスの「サタンよ、去れ」等)

 

そして

“自分の行為や思いを修正し、身を修め整えること” と “瞑想” を

車の両輪のように重視します。

 

恐らく

フルフィルメント瞑想は

生身の人間が

三次元の世の中を生きるにあたって

実用的な瞑想法であり

 

その点で

思想・宗教に伴って伝えられてきた行法や瞑想法(修行系)とは

テイストが若干違っている感じがいたします。

 

フルフィルメント瞑想も

数千年に及ぶ

インドやヒマラヤの伝統にのっとった瞑想法なのですが。

 

私は自己否定系瞑想法のエッセンスも好きなので

そちらの瞑想法も実践しています。

 

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