台風が近づいています。

選挙の投票には行きました。

愛犬の排泄も完了しました。

(ゆえに、今日は外出の必要なし)

水の宅配も受け取ったので

対外的な行為はおしまい。

のんびり過ごします。


さて

精神世界の学びや

活動など

足を踏み入れるきっかけには

いろんなものがありましょうが

 

エゴ(エゴマインド)と

魂の関係性からいうと

大きくは次の

3つのステップを

踏むのではないでしょうか。

 

【ステップ1】

人生が混乱し、

自分の関わる領域に悩みごと、

困りごとが多く

「自分は何のために生きるのか」

「人生が、なぜ悩み多く、苦しみに満ちているのか」

「悩みや苦しみには、どういった意味があるのか」

「私は自分の本当に望む姿を生きているのだろうか」

といったことに思いを巡らす。

 

エゴマインドを

「自分」と信じて

生きてきたが

 

欠乏感や不燃焼感

自己不在感を

見過ごせないレベルで

感じており

 

エゴマインドを

このまま「自分」であると

信じ続けて

いいのかどうかが

分からなくなってきた。

 

「本当の私」とは

何なのだろうか、という疑問が湧く。

→ エゴ(エゴマインド)が立ちふさがることにより、魂の本質や願望が見えなくなっていて、魂の存在感が希薄な段階

 

【ステップ2】

エゴ(エゴマインド)の望みも

魂の本質や願望も

両方満たすように

精神世界の学びや

活動を活かそうとする。

 

「最大多数の最大幸福」

(ベンサムによるイギリス功利主義の理念。幸福とは個人的快楽であり、社会は個人の総和であるから、最大多数の個人がもちうる最大の快楽こそ、人間が目指すべき善であるとする―大辞林より)

を社会ではなく、個人(エゴと魂)において達成しようとする。

 

平たく言えば

それなりにエゴが満足し

より深いところにある

自分の性向も

それなりに満たされるということを

最大限実現するような

選択をするために

スピリチュアル業界のノウハウを活用する。

→ エゴ(エゴマインド)と魂にとっての、トータルな幸福感を拡大していこうと試行錯誤する段階

 

【ステップ3】

エゴ(エゴマインド)的活動を介して

魂を見よう/知ろうとする段階は終わる。

 

魂は

あくまでも魂であって

エゴ(エゴマインド)と

ダイレクトにリンクするものではなく

 

エゴ(エゴマインド)は

魂と無関係に働く

ただのエゴ(エゴマインド)に過ぎない

 

ということを理解している。

(エゴはあっても、とらわれなくなってくる。エゴが大きな力をもたなくなる)

 

エゴ的活動と

魂的活動は

 

どちらも同じ

「日常」という

フィールドに

現れてくるので

 

互いにリンクしているように

見えるけれど

 

実際のところ

両者の間には関係がない。

(相関はないが、相対性はある、という表現が近いかもしれない)

→ エゴ(エゴマインド)の働きによって、魂の願望を知ろう、魂の本質に出会おうとしなくても、魂が自由に日常の活動のなかに表れてくる段階

 

 

スピリチュアルな世界に

関わる人の多くは

【ステップ2】で

その歩みが止まります。

(もっと言えば、その段階で、大多数の人はその生涯を終えます)

 

【ステップ2】を

やり続けていさえすれば

自ずと【ステップ3】に

移行していく、

 

ということが(ほぼ)ない、

というところが

【ステップ2】のトラップです。

 

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