7世紀、玄奘三蔵がインドに向かう途中に立ち寄って、突厥の王に謁見したとされている場所です。
王は「インドは年がら年中暑いし、人々がメチャクチャなので行かないほうがいい」とアドバイスしたそうです。ある意味で、今のインドのイメージと違っていないので興味深く思いました。
「ブラナの塔」の10~13世紀と言い、この辺りは大昔は栄えていたんですね。栄えた場所がずっと繁栄し続けることはないのだなと、玄奘三蔵でなくとも栄枯盛衰、諸行無常を感じます。
ガイドさんによれば「『ブラナの塔』同様、こちらの遺跡もそのうち柵が作られ、近くに寄れなくなるてしょう」とのことでした。このときは普通に接近できました。
遺跡関係者によれば、玄奘三蔵は非常に言語に長けていて、いろんな言語を話し、行く先々で商人たちから情報収集し、どの峠はどの時期に越えるのがよいかなど、事前に緻密な計画を立て、16年かけて旅をしたとのことであります。
信念の強さとか、運任せとかで日々旅していたわけではないそうで、現実はムード主導のドラマではなく、コツコツとした積み重ねの毎日であったようです。
落ちている土器などの解説もいただきました。