「新疆ウイグル→キルギス→カザフスタン→ウズベキスタン」の旅行から帰ってきました。感じたことはいろいろあります。
人間とはある程度、固定的な自分を生きています。好き嫌い、キャラやパーソナリティ、人生観、価値観、何かが起きたときにどのように反応するか。何かしらの傾向をもって生きています。
それらはすべて虚構です。
(ウルムチからカシュガルへ向かう機内から天山山脈を撮影)
例えば機内をとっても、中国人の座った座席の足元はとても汚いです。ゴミは床に捨てるものという生活習慣が強く刷り込まれています(あるいは、ゴミをゴミ箱に捨てる、ということを教えられていない)。
私もあなたも中国に生まれていれば十中八九、ゴミを床に捨てるのが超ナチュラルな人として生きることになるわけです。
今回旅行したところは遊牧民族の多いエリアです。遊牧民の子どもは、3歳から馬に乗るそうです。それが当たり前だからです。
(キルギスにて。犬は常に馬の後ろにいる)
「えっ、補助輪付の自転車(+ヘルメット)ならばともかく、3歳で馬なんて危険極まりない」と思ったとしても、それは日本での話であって3歳から馬に乗る民族には何の疑問も生じません。
今回の旅を通し、日本の人ほど細かいことにこだわる民族もいないのではないか(よく言えば繊細。悪く言えばメクドクサイ)という意を強めました。
別の土地で、別の民族に生まれていればまったく別の習慣や風習のもとに育っているので、扉も、仕切りもないトイレで排泄するのも当たり前。
人間なんぞ、どうとでも育ちうるのであって、それは文化や環境に規定され、言い換えると不変である「これが私」なんてものは一切ない、ということになります。