YouTubeのチャンネル「歩行型ドローン」をきっかけに「路地裏さんぽ」を知りました。まだすべてを観てはいませんが、そちらも興味深かったです。
- 「歩行型ドローン」⇒ 自分も一緒にその街を歩いている気分になりドキドキする。
- 「路地裏さんぽ」⇒ 文献の紹介も多く懐古的&詩的である。こちらのほうが安心して観ていられる。
印象には上記のような違いがありました。
後者で横浜の「中村町」が取り上げられていて、石川町を流れる川が「中村川」であること知りました。戦時中、東京の日本橋を焼け出された私の父(当時は少年)は祖父と家財を積んだリヤカーを引いて、親戚のいた石川町へと移り住みました。後の横浜大空襲により、その家財も焼けたそうで「運ぶだけ無駄だった」と言っていたことを思い出します。
父の残した記録から。この写真を撮影したとき、私も一緒にいました。
子どもの頃から両親に連れられて、墓参りで石川町のお寺へ行きました。その当時、中村川にはボロボロの船が係留されていて、そこに住んでいる人達がいました。動画では「不法係留船に形成された住居が1997年から存在していたが、沈没の危険性があり2020年に撤去された」とありました。私の記憶では、ずっと昔から不法係留船(船上バラック)には住人がいたと思います。船上に住居の体を成す構造物を作ったのが比較的近年なのかもしれません。
石川町は中村町、寿町などのドヤ街に近く、その一方で外国人居留地だったオシャレな山手や賑やかな中華街、メリケン波止場と言われた大さん橋にも近いという不思議な場所でした。
「路地裏さんぽ」は各地の遊郭や色街(現役&跡地)のレポートが多いような気がします。遊郭は日本のいろいろなエリアに存在していました。「こんなにもいろいろなところに遊郭ができたのは、食欲や睡眠欲同様に人間の性欲が相当強いからに違いない」と思ったりもしましたが、単に昔は交通機関が発達しておらず、地域の人の流出/流入も少なかったので、各地に遊郭のニーズがあったということではないでしょうか。製造業や軍需産業があれば、そこに男性が集まり、港があれば軍人や海外からの船が出入りし、というように、エリアに集まる人たちの色合いが現在より偏っていたことも背景にあるのかもしれません。
私は常々、美容院・理髪店について不思議に思っています。頭はひとりの人間につき、ひとつしかないにも関わらず、美容院・理髪店はたくさんあります。月に数回利用する人たちがいる一方で、年に一回も行かない人たちもいます。特に美容院についてはスタイリッシュなサロンもありますし、昔ながらのパーマ屋さんもあります。ビジネスが多様な生態系となっており、競争や淘汰はあるにせよ、それぞれが持ち場を得て生き長らえています。かつての遊郭の店にもお金のかかるところから安価に遊べるところまであり、若い遊女もいれば老人に近い娼婦もいて、それぞれにお客がついていたと思われます。業界は異なりますが、似ている部分があるように感じられてなりません。