イエスたちが「最後の晩餐」をしたとされる場所へ

スポンサーリンク

過越の子羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペテロとヨハネとを使いに出そうとして「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。二人が「どこに用意いたしましょうか」と言うと、イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にこう言いなさい。『先生が “弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか” とあなたに言っています』。すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい」。二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。

(出典:ルカの福音書22.7~13)

「最後の晩餐」の部屋は「上の部屋」とも呼ばれ「シオンの丘」にあります。

「紀元130年頃に存在した原始キリスト教の集会場を起源として、4世紀に建てられた教会の跡と考えられています。十字軍によって12世紀に再建され、14世紀から16世紀にかけてフランシスコ会の所有となりました。のちのオスマントルコ時代にはモスクとして使用されていました。南側の壁にはイスラム教の聖地・メッカの方角を示す“ミハブ(Mihrab)”があります」と “RETRIP” というサイトに書いてあります。12世紀に再建された建物なので、この部屋で「最後の晩餐」が行われたわけではありません。あくまでも「この場所(空間)であった」とされているに過ぎません。

Wikipedia でも「最後の晩餐と聖霊降臨の場所ははっきりしないが西方教会では伝統的にエルサレムのシオンの丘のダビデの墓にある建物のセナクルであるとして保存、公開されている」とのことです。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」では、みなさんテーブルに着いていますが、実際には床に寝そべるようにして食べていたようです。飽食のローマ人のようですね。イエスの生涯を描いた映画などを見ますと、日本のちゃぶ台みたいなので「最後の晩餐」をしています(あるいは胸から上しか映らない)。椅子に腰かけて食事をする文化ではなかったようです。

旅行は人生の大きな喜び(^^)v
ランキングに参加しています。
応援をお願いいたします。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村