6月いっぱいまで本業(リサーチの仕事)が超絶忙しく、7月になってようやく日本語教師デビューしました。
「みんなの日本語」初級Ⅱ第30課(「て形+あります」「て形+おきます」)が担当でした。たまたまですが時間内にぴったり収まりました。日本語ネイティブからすると思いもしないような質問が出たりするのも面白いと言いますか、こちらのほうが勉強の機会をもらっている気がします。
この投稿で取り上げるのは第30課ではなく、第29課のおはなしです。
第29課の「~てしまう」を見るたびに、半年通った日本語教師養成講座420時間コースでご指導くださった増田先生を思い出します。
「『~てしまった』には『完了してもう元には戻らない』という以上の意味はないのよ」とおっしゃっていました。指導書には「『~てしまった』には残念・遺憾の意味がある」と書いてありますが「それは日本人が高コンテクストな民族だから。後から生まれたニュアンスであって元々の意味ではない」とのことでした。
私が講座を修了したのは2020年の12月。増田先生は2021年の3月に(こちらの感じ方としては)急にお亡くなりになりました。
とてもフットワークの軽い方で、オーストラリアでビジネスパートナーと日本語学校を興したり、海外で自動車整備や鍼灸の資格を取ったり、日本語教師歴も30年、大学は理系学部。お話も楽しく、その人生に興味を持たせるような女性でした。
増田先生から具体的な教授法を教えていただいたわけではないのですが、ときどき披露してくださった教授法も構造的というか概念的というか「エッセンスを伝える的」なところが特徴で「理系の人は日本語教師に向いていますよ。文系の人はもわ~んとした雰囲気で文型を教える傾向があるけれど、理系の人は概念を構造的に考えることが好きだし、それを上手に伝えることができるから」とおっしゃっていました。
「自分がオーストラリアで暮らしたとき、言葉が不自由でいろんな苦労をした。そういうとき、いつも身近な人たちが助けてくれたから」と、日本語を教えている学生たちにも「深情け過ぎなのでは?」「学生に任せるべきところを先生が引き受けすぎなのでは?」と感じるくらいに親切で温かい様子がうかがえました。
私は(財) 国際生涯学習研究財団の名古屋校3期生です。修了してから、たまたま4期の方と知り合う機会がありました。4期は増田先生の授業は1回だけだったと言っていました(体調不良のため)。3期生でラッキーでした。