17世紀、カシュガルの政治と宗教の実権を握っていたマホメットの末裔とされるホージャ一族の墓、イスラム聖職者の墓があるところとして知られています。
初代の墓はイスラム教を布教した宣教師・ユスフホガ、2代目の墓は長男のアパホコガのものだそうです。アパホコガの孫に当たるといわれていた女性は体から麝香(ジャコウ)の香りがすることから「香妃」と呼ばれていました。
ホールの奥に「香妃」を含めた5世代72人の一族の墓がありますが、数は58基と人数とは合致していません。
彼女(政略結婚により清朝の乾隆帝に嫁ぎ、29歳で北京にて逝去)にちなんで名づけられた「アパク・ホージャ墓」。「香妃」の遺体がこの地に運ばれたかどうかは定かではありませんが、ここに眠っていると信じられています。
バラ園のある広々としたところにあり、開放的で気分のよい遺跡でした。
アパク・ホージャの父ユスフ・ホージャが布教活動を行った場所だそうです。「アパク・ホージャ墓」の隣にあります。