天候が怪しくなってきた夕方から、ジョージアの首都トビリシの旧市街(主要な観光スポット)をざっくりと巡ります。
ドイツから贈られたベルリンの壁の一部
2017年6月に首相がドイツを訪れた際に贈られたそうです。ジョージアとドイツの友情のシンボルとされていますが、落書きがいっぱい。ヨーロッパ広場(Europa Square)にあります。

古さと新しさが共存しています。この地点は不自然な感じがあまりなく、調和的だと思います。

メテヒ教会
5世紀に建てられました。1235年のモンゴルの侵略によって破壊され、1289年にデメトレ2世の命を受け再建されました。その後も教会は破壊と修復を繰り返します。 帝政ロシア統治下には刑務所として使用され、ロシアの作家ゴーリキーも幽閉されました。また、ソビエト統治下では劇場として使われました。ジョージア独立を期に、現在はジョージア正教会となっています。
旧ソ連統治下にあった国々では、その当時、教会以外の目的に建物が転用されていたケースが多いですね。


ヴァフタング・ゴルガサリ王(ヴァフタング1世)の像
ヴァフタング1世 (447年 – 502年)は、サカルトヴェロ(ジョージアの自国語での正式名称)の為政者でありトビリシの創設者。メテヒ教会敷地内にのメテヒ岩の上にあります。
街の名前トビリシには次のような伝承があります。
ある日、ヴァフタング1世が狩りをしていると、彼のハヤブサが傷ついたキジを捕まえてきた。その後、王が歩いていると突然、彼のハヤブサとキジが水の中に落ち死んでしまった。王が確認するとそこには茹で上がったハヤブサとキジと温かい水、つまり温泉があった。その後ヴァフタング1世はイベリア王国(現在のジョージア東部に存在した王国。イベリア半島とは異なる)の首都をムツヘタからアバノツバニ(“アバノツバニ” は旧市街の一地区。“湯治街” の意)のある場所に遷都し、”あたたかい場所” を意味するトビリシという名前が付けられた。
Wikipediaより引用&編集



宴会マスターの“タマダ像”
橋を渡って旧市街のなかでも繁華街へと足を踏み入れます。そこにいたのは “タマダ”。ヴァニ遺跡で出土した “タマダ” 像のレプリカです。“スプラ” と呼ばれるジョージアの特別な行事や祝祭の宴席部長みたいな存在。
“タマダ” は「ガウマルジョス(勝利に)!」という乾杯の音頭をとります。「“タマダ” に選ばれるのは、知的で示唆に富み、ユーモアのセンスがある人」だそうで、名ホストをイメージします。
“タマダ” の起源は古代にまで遡ること、宴会の盛り上げ役がそこまで重要な存在だったことに驚きます。

“タマダ” が持っているのは、古代から使用されてきた酒器 “カンツィ”。羊/水牛/山羊などの角で作られていました。お酒をこぼさずにテーブルに置くことはできないので、飲み干すのかルールだったようです。
元はキャラバンサライの神学校
旧シオーニ大聖堂近くの通りにあります。元はキャラバンサライだったそうです(現在は神学校)。雨が本降りになってきました。足早に歩きます。

平和の橋
Googleマップの注釈にもありますように「鋼とガラスでできた有名な歩道橋。ユニークで現代的なデザインと LED によるライトアップが特徴」。2010年に完成し、海の波をイメージした長さ150m以上の橋。映えるのか撮影している人たちが多かったです。
- 橋の設計:イタリアの建築家ミケーレ・デ・ルッキ
- LED照明のデザイン:フランスの照明芸術家フィリップ・マルティノー

大統領官邸 & Rike Concert Hall

今は機能していない大統領官邸。2010年に行われた憲法改正により、ジョージアは大統領制から議院内閣制へ移行したため、大統領権限は従来よりも大幅に縮小されました。現在は、ほとんど実権を持たない象徴的な存在となっています。2024年から元サッカー選手のミヘイル・カベラシヴィリが大統領を務めています。
手前にあるのはリケ公園にある “Rike Concert Hall”。イタリアの建築家マッシミリアーノ・フクサスのデザインであるそうです。調べてみると彼は日本の大学で教鞭をとったことがあるんですね。このホールは使われておらず、ガイドさんいわく「お金のムダ」。