岩窟建築のゲガルド修道院(1)道のりと概説

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アルメニアにも明日未明でお別れ。本日は、まずは世界遺産のゲガルド修道院へ向かいます。

引き続き、洗濯ものと電柱の電線の巻きっぷりが気になります。

ハチャトゥル・アボヴャン(アルメニアの著作家、教育者、研究者、登山家、ガイド)の像。

道中、性懲りもなくアララト山を撮影。やっぱり、もやーんとしか写りません。

岩窟建築のゲガルド修道院について簡単にまとめておきます。“ゲガルド” とはアルメニア語で「槍」を意味するそうです。

ゲガルド修道院は中世に崖に囲まれた隣接する山を削って作られた。

来歴修道院は4世紀、啓蒙者グレゴリウスによって洞窟内にある神聖な泉の場所に建てられた。したがって、もとは「洞窟の修道院」を意味する “アイリヴァンク(Այրիվանք)” と名付けられていた。最初の修道院は9世紀にアラブ人によって破壊された。現在の “ゲガルド”、またはより完全には “ゲガルダヴァンク(Գեղարդավանք)” は「槍の修道院」を意味し、磔刑でイエスを傷つけた槍に由来している。その槍 “タデウス” は、使徒によってアルメニアに持ち込まれたとされ、他の多くの遺物とともに保管されていた(現在はエチミアジンの宝物庫に展示されている)。礼拝堂(本教会)は、そのずっと後の1215年に建てられた。一部は自立した形で、一部は崖を削ってできている。トルコ人からアルメニアの大部分を取り戻した、ジョージアのタマール女王の下でザカリド将軍だったザカレとイヴァネの兄弟の後押しを受けた。

自然環境/建てられ方:修道院を囲む崖はアザット川渓谷の一部であり、修道院とともに世界遺産に登録されている。修道院内の教会には、崖の岩から完全に掘り出されたもの、洞窟にすぎないもの、建築的に複雑な壁で囲まれた部分と崖の奥深くにある部屋の両方を備えた精巧な構造物が混在している。

修道院の構成:4世紀、8世紀、10世紀のアルメニアの歴史家によると、修道院は宗教的な建物とは別に、設備の整った住宅とサービス施設で構成されていた。

それではゲガルド修道院を見学いたしましょう。

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