人生における被害者と自己責任論―②自己啓発セミナー

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「海外旅行」にも「海外ドラマ」にも「日本語教育」にも無関係ですが、残したいのでココに移した記事です。

「セラピー文化の社会学~ネットワークビジネス・自己啓発・トラウマ」を刺激材料としつつ、書いていきたいと思います。

アメリカの宗教におけるニューソート思想(思いは現実化する)を取り入れたのが、アメリカで大きな市場をもつネットワークビジネス(本書が書かれた時点で、市場規模の第1位がアメリカ、第2位が日本であり、上位2位までと第3位韓国との間には大きな開きがある)。

宗教思想をベースに組み立てられたビジネスなので、活動のムードや、吸い寄せられる人達に宗教臭が漂うのも必然かもしれません。売れれば活動理念や製品、そしてそれらへの奉仕のあり方が「思いが実現する」というセオリーに則って正しかった、売れなければ「あなたの責任なので、あなた自身の思いを修正せよ」ということで、経営母体の責任が問われることがないシステムになっています。責任が問われるとしたら、ビジネスや製品に関する遵法性でしょうか。

自己啓発セミナーの特徴

本書によれば、自己啓発セミナーには次のような特徴があります。

(1) その内に、常にセラピー的思想を含んでいる

(2) ネットワークビジネスに多いビジネス周りの積極思考を超えて、自分の人生に降りかかることはすべて自分の責任であるとする

(3) 心的態度の自主的な変化だけでなく、社会によって抑圧されている自己の限界を解放する

(4) それらは自己の内面に向いているため、自己啓発セミナーが社会変革に結びつくことは通常少ない

(5) しかしながらセクト的、イニシエーション的な特徴が遠因となり、カルト問題に発展することがある

(6) 最初の参加のきっかけは以前のセミナー参加者の紹介であることが多い

(7) 次のようなステップを構成することが多い

【第一段階】 ベーシック・3~4日間 料金は10万円前後 「自己を知る(レクチャー、エクササイズ、シェア)」

【第二段階】 アドバンス・4~5日間 料金は20~30万円前後 「自分の殻を破る(レクチャー、エクササイズ、シェア)」

【第三段階】 エンロール・約3ヵ月間 料金は無料~5万円前後 「具体的目標を立て、成果を確認し合う(日常のエクササイズ、シェア)」+「友人・知人の紹介や勧誘(カーネギーに倣い『人を動かす』を実践)」+「無償のボランティアでセミナー運営の手伝い」

グループセラピーを活用

自己啓発セミナーのなかで活用されるグループセラピーは、1910年に開発されたサイコドラマ(心理劇)、1930年代に生まれたアルコホーリクス・アノニマス(AA)を歴史的先駆としているようです。アルコホーリクス・アノニマス(AA)自体は、著者の考えによれば自己啓発セミナーではなく、トラウマ・サバイバー運動に分類されます。

グループセラピーは社会的立場や地位をいったん棚上げし、参加者全員が本音で語り合うエンカウンターグループ、ゲシュタルト療法やボディワークなどを併せ、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントとして人気を博していきます。

ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントは思想的には実存主義、現象学、心理学の第三勢力(「人間性心理学」)の影響を受けており「アカデミックな世界よりも、ビジネスの世界と有効な協力関係を結んできた」(P.88)といいます。

すなわち「ネットワークビジネスの販売員向けのハードな研修と、瞑想を主体としたソフトな癒しのプログラム」(P.89)が現在の自己啓発セミナーの直接のルーツであり「自己啓発セミナーは、1970年代初期のネットワークビジネスの人材開発に、ちょうど当時流行していたヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントのアイデアを取り入れて作られたというのが真相ではないだろうか」(P.90~91)と本書は述べています。

「心に念じたことは叶う」と「あなたがあなたの現実を作る」の融合へ

実際には「心に念じたことは叶う」(ニューソートの神秘思想、『信じれば救われる』という宗教の世界)と「あなたがあなたの現実を作る」(主観にまつわるシステムがその人の現実認知を決めているという現象学の世界)は似ているようで異なります。著者は「思想的にも論理的にも距離があるのだが、・・・自己啓発セミナーにおいて、その二つは、自分を愛し自分の可能性を信じる姿勢として融合した」と表現していました。

引き寄せや一元の世界に魅入られた人達の言説に対し時折私が違和感を覚えるのは、上記の二つの区別がついていないこと、そしてそれをベースに他者を導こうとすることに対してです。

本来似て非なる “ニューソート的思想” と “現象学” を同じ鍋に入れて煮込んで、ひとつにしてしまったのが自己啓発の世界。

そしてまた、自分の思いにのみに注目する態度は、体制を維持したい側からのコントロールに使用される恐れがあることを著者は指摘しています。環境を変えようとするのではなく自分の思いを変えなさい、環境が悪いのではなくあなた自身に問題があり、それらについてあなたが全面的な責任を負うべきなのですと。

また、すべてから解放された「本当の自己」を存立させるために、高度に操作的な環境を必要とする。つまり自律のために他律を必要とするという、いわば矛盾した構造がある。当人にしてみれば100%を、その『まっとうな』ツールや思想にコミットしているつもりでも、外部から見ると100%の被操作に見える(操作される側に回っているように見える)場合がある、とも述べています。

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今はじっとしている旅人
井上 あつこ

・マーケティングリサーチャーで日本語教師

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