本日はジョージア軍用道路をカズベキ山脈方面へと向かいます。
「ジョージア軍用道路」とは
コーカサス山脈を抜けてジョージア(トビリシ)からロシア(ウラジカフカス)へと向かう幹線道路の歴史的名称(E117号線)。全長212㎞。
古都ムツヘタ で幹線東西高速道路(E60号線)と合流しているので、軍道はトビリシ近郊のムツクヴァリ川に接しているともいえる。
ムツヘタを通過した後、中世の城塞であるアナヌリの下を通り、最高地点(標高2379m)の十字架峠に至る。峠の手前に “ロシア・ジョージア友好のモニュメント” がある。それは1783年に両国のあいだでむすばれたギオルギエフスク条約200周年を記念して1983年に作られた。
そして十字架峠を越えたところに “丘の上の三位一体教会” がある。

イベリア王国の元首都であり、ムツヘタ・ムティアネティ地方の主都ムツヘタは「ムツヘタであること」を車窓から確認するにとどまり、先を急ぎます。
ムツヘタ・ムティアネティ地方の5つの自治体のうち、ドゥシェティにあるアナヌリ要塞(城でありジョージア正教会)へ向かいます。
城としての歴史:元は13世紀からこの地域を支配していた封建王朝であるアラグヴィのエリスタヴィス公爵の城(本拠地)。数々の戦いの舞台となり、アラグヴィ一族は滅ぶ。その後のシャンシェの支配に対し、地元の農民は反乱を起こしテイムラーズ2世を招いた。しかし1746年、テイムラーズ王はカヘティ王エレクレ2世の助けを借りて別の農民蜂起を鎮圧。要塞は19世紀初頭まで使用された。
アナヌリのいわれ:城が包囲されたとき、秘密のトンネルが水に通じていたため、城に避難した人々は食料と水を得ることができて落城しなかった。敵はヌリ出身のアナという女性を捕まえて拷問。その位置を明らかにしようとした。しかし彼女は秘密を明かさず、死ぬことを選んだ。
2つの教会:高い四角い塔に隣接する古い聖母教会には、アラグヴィ公爵の墓がある。より大きな神の母教会は、バルジム公爵の息子のために1689年に建てられた。そちらは北の入り口(彫刻が施されている)と南のファサード(ブドウの木の十字架の彫刻)など、豪華に装飾されたファサードを備えた中央のドームスタイルの構造。18世紀の火災でほとんどが焼失したフレスコ画の遺跡もある。




ここに限らずですが、出会う修道士に霊性の高さを感じません。この教会に限らずですが、宗教は人間を救わないのではないでしょうか。

付近の土産物屋とかわいいバッグ(買ってない)。

