戦略的重要地点だった“ラバティ城&要塞”へ(1)プロローグ

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“アハルツィヘ” とは “新しい城” という意味で、ラバティ城のことを指しています。その要塞はティムールの攻撃にも耐えたそうです。

城は9世紀に建造され、その当時は中世アルメニア王国の領土。“ロミザ城” と呼ばれており、アルメニア語で “ライオン” を意味したそうです。…と、あるサイトにありましたが、“ライオン” をアルメニア語に翻訳すると “Առյուծ(アルュツみたいな発音)” と出てきました。中世のアルメニア語とは相違があるのかもしれません。

橋げたと思われますが、ライオンがあしらわれています。

要塞に関する歴史は13世紀に遡り、その後、幾度となく起きた戦いによって破壊されました。宗教を含め、いろんな文化が入り交じり、要塞や建物にはジョージア/トルコ/アラブなどの要素が認められるそうです。2011年には大規模な修復が行われています。

歩いて城&要塞へと上っていきます。

“Hotel Terrace Rabath” の横の壁をくぐり抜けて階段を上ります。

次にまた別の入口をくぐると、広場のような所に出ます。お土産屋さんなどのショップがありました。

この先を見学するのは有料でした。

戦略的重要地点だった“ラバティ城&要塞”へ(2)キリスト教会とイスラム教モスク
遺跡のなかにジョージア正教会とイスラム教モスクがあることを興味深く感じました。
戦略的重要地点だった“ラバティ城&要塞”へ(3)牢屋と城塞
要塞内の牢屋らしき部屋、ジャケリ家の城塞の紹介です。
戦略的重要地点だった“ラバティ城&要塞”へ(4)サムツヘ=ジャワヘティ歴史博物館①
まずは武器/武具、服飾、宗教的アイテム、インテリア/調度品、陶器/タイルです。
戦略的重要地点だった“ラバティ城&要塞”へ(5)サムツヘ=ジャワヘティ歴史博物館②
次いで道具/生活用品、絵画(フレスコ画)/レリーフ、本(写本)、楽器、モスクワとの交易の証です。
戦略的重要地点だった“ラバティ城&要塞”へ(6)見張りの塔
要塞巡りも最終段階。見張りの塔に上りました。
戦略的重要地点だった“ラバティ城&要塞”へ(7)エピローグ
坂を下り、川を渡り、再び坂を上ってホテルまで歩きました。
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