エルサレムの聖墳墓教会、ここは重いです

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聖墳墓教会について。

ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世は325年頃に、キリストの磔刑の場所、ゴルゴタの丘(『マタイによる福音書』27:33など)に教会堂を建てることを命じた。遺骸がアリマタヤのヨセフらによっていったん葬られ、3日目に復活したという墓もその近くのはずであった(『ヨハネによる福音書』19:41-42)。 エルサレムは2度のユダヤ戦争によって破壊され、135年ごろにはローマ風の都市へと再開発されている。このため、ゴルゴタの位置は分からなくなってしまっていた。 伝えられているところによれば、コンスタンティヌスの母ヘレナが326年にエルサレムを訪れ、当時はヴィーナス神殿となっていたこの地で磔刑に使われた聖十字架と聖釘などの聖遺物を発見したとされ、ゴルゴタと比定した。神殿を取り壊して建てられたのが現在の聖墳墓教会である。教会の中の小さな聖堂がイエスの墓とされている。 この場所はエルサレムの旧城壁内にあるが、処刑場は城壁外にあったのではないかという疑念も出されている(『ヘブライ人への手紙』13:12)。聖墳墓教会とは別に、城壁外に「園の墓」(Garden Tomb)があり、聖公会やプロテスタントの一部教派に支持されている。

(出典:Wikipedia「聖墳墓教会」

ほかの文献によればヘレナは3本の十字架の跡、埋葬された墓の跡を確認したとあります。「ダビデ王の墓」よりも、この場所のほうが「ゴルゴタの丘」であったことの確度がずっと高いと思われます。さらに1099年にエルサレムを陥落した十字軍により、ロマネスク様式の聖堂が建設され、聖墳墓教会の基礎が整備されたということです。

やってくる人たちの思いが重い空気を作り出しています。イエスが復活する前に、遺体の処置をしたと言われる石に触れることができます。

聖墳墓教会のあれこれ。

壁にあった絵画です。十字架から降ろしたイエスの遺体を運んで清めています。

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