ドイツのドラマで原題は “Luden: Könige Der Reeperbahn”。邦題とさほど違いませんが “ルーデン: レーパーバーンの王たち” という意味です。
本作を観て「DEUCE/ポルノストリート in NY」を思い出しました(かつてAmazonプライムビデオの見放題対象作品だった)。それとは雰囲気が異なりますが、どちらも娼婦、マフィア、ドラッグの拠点である歓楽街の物語なのは同じ。
「DEUCE/ポルノストリート in NY」は1970年代ニューヨークの歓楽街 “デュース”、「ルーデン~歓楽街の王者~」は1980年代ハンブルグ(ザンクトパウリ)の歓楽街 “レーパーバーン” を舞台にしています。
IMDbの評価が高いのは「DEUCE/ポルノストリート in NY」のほう。「ルーデン~歓楽街の王者~」はまあまあ(低い評価ではないし、むしろ面白いと思う)。ただし青少年が観るようなものではないので、家族でのお茶の間視聴は避けましょう。
本作の特徴
正統派の美男美女が登場しない
主人公クラウス・バルコフスキ(演じているのはアーロン・ヒルマー)は “いい男” 設定なのだと思います。ドイツ人からしたら美男なのかもしれませんが、私の目には “ブロンドヘアで黒い眉毛と髭をもつ顔の濃い男”。暗い色の髪を金色に染めているんでしょうが、眉と髭は黒いため全体に不自然な印象です。
彼が惚れ込む娼婦ユッタは美人(浅野温子に似ていなくもない)。しかし娼婦としては年増です。演じているジャネット・ヘインは1967年生まれ、作品は2023年のもの。それでも演技への情熱からか惜しみなく裸体を晒しています。
クラウスの愛を得ようとする娼婦ハイケも直球の美人には見えないし、裸になると痩せ過ぎです。
微妙なビジュアルの人たちでわざわざ揃えたのか、ドイツ基準の美男美女なのかはわかりません。日本の視聴者目線でいうと「美しいものを見たい」というニーズに応える作品ではないように感じました。
実際の歓楽街も選りすぐりの美形ばかりではないでしようから、リアリティの追求なのかもしれません。
歓楽街の悲哀と夢がてんこ盛り
このドラマはドイツが舞台。しかし日本の遊郭などにも通底する悲哀があります。男性がお金や暴力で女性を支配。病気や麻薬もはびこります。なりたくて娼婦になった人は(ほぼ)おらず、微笑みの陰には悲しみがあります。
人間たるもの、人生に何か希望を見出さないと生き続けることが苦痛と思います。元締めに高圧的に仕切られて歓楽街で娼婦として客を取る日々に対し、どのような希望を見出すことができるでしょうか。
自分の王国を築こうとする元締めたち。そのためにかなりの苦労や痛手を負うのも事実ですが、他者の不幸をベースに成り立っている産業は罪作りでしかない、そんな気がします。いっとき大金を手にしたり、成功者になったとしても儚いもので、いつか自分の業を受け入れねばならない日がやってくるのでは。
登場人物たちには “生身の人間臭さ” が詰まっていて「行為や選択の8割は間違いだけれど、2割は真実と美しさからなっている」という感じです。
主人公のクラウスは娼婦ユッタを愛していたこともあって元締めになりました(同時に社会的な成功も求めていた)。やはり、どこか身勝手です。ほかの元締めたちも人間として女性に対する情や優しさが皆無なわけではありません。しかし自分本位で非情さと残酷さが8割を占めます。世の中にはDV男やモラハラ男が存在しますが「ときどき優しい顔を見せても行為や選択の8割が非情で残酷」なのではないでしょうか。ハラスメントの典型比(似姿)を見た気がします。
導入部あらすじ
ハンブルグのザンクトパウリでバーテンダーとして働くクラウス・バルコフスキは、ある日、店に逃げ込んできた娼婦ユッタと出会います。
その後、クラブで彼女と再会。クラウスはユッタに強く惹かれます。歓楽街 “レーパーバーン” は娼婦たちの元締めGMBH(ゲルト/ミーシャ/ビートル/ハリー)やフリーダ・シュルツによって仕切られていました。GMBHはエロス・センターのワンフロアを拠点とし、フリーダ・シュルツは高級売春宿 “シカゴ” を営んでいました。
娼婦ユッタの恋人になりたかったクラウスですが、売春ビジネスの仕組み上、元締めのビートルからユッタの身請けをするしかありません。芸術家志望だったクラウスは、セレブの顧客をもつアンディ・ウォーホルや「スタジオ54」に憧れていたこともあり、その上昇志向が後押しとなってザンクトパウリの元締めとして身を立てることを決意します。
ユッタはクラウスを元締めにして “シカゴ” で働くことを希望しましたが、娼婦として歳を取りすぎていることからオーナーのフリーダ・シュルツによって拒否されます。
クラウスは友人のアンディ、ベルントに声をかけ、自身のカルテルを作ることを宣言。愛を囁いてバーの同僚クラウディアを利用、女性たちを集めて売春組織ヌテラ・ギャングを拡大していきます。
主な登場人物
ヌテラ・ギャングの関係者
クラウス・バルコフスキ:芸術家志望のバーテンダー。父は死んだが母エリーカは存命。ユッタの身請けのために元締めとなる
ユッタ:クラウスが惚れ込んだ娼婦
クラウディア:クラウスが働いていたバーの経営者ルディの娘で同僚。クラウスにそそのかされて娼婦になる
アンディ・ホーン:クラウスの友人。ボクサーで短気。兄ライナーのもと魚市場で働いていたが、クラウスのカルテルの用心棒になる
ベルント・キューネ:クラウスの友人。トランスジェンダー。母のクリーニング店で働いていたが、クラウスのカルテルの経理係になる
ナディーン:クラウスの組織で働く娼婦のひとり
ビルギット・ホーン:アンディの兄ライナーの妻で好色。実益を兼ねて売春。ベニーという息子がいる
グレイス:コートジボワール出身の女性。売春組織で働くためにベルントと偽装結婚する。祖国に子どもがふたりいる
エロス・センターで売春ビジネスをしている男たち
フリーダ(ヴィルフリート)・シュルツ:高級売春宿 “シカゴ” の経営者。GMBHより格上の人物
チャイナ・フリッツ:フリーダ・シュルツの右腕。フリーダ・シュルツが逮捕された後 “シカゴ” の70%を購入
ビートル・フォーグラー:レーパーバーンで売春の元締めをしているGMBH(ゲルト/ミーシャ/ビートル/ハリー)のひとり。フリーダ・シュルツが逮捕された後にキャバレー “フラミンゴ” を購入
ゲルト・グリスマン:GMBHのひとり
ミーシャ:GMBHのひとり。同性愛者。フリーダ・シュルツが逮捕された後に彼所有のクラブを購入
ウィーナー・ペーター:フリーダ・シュルツが逮捕されたため “シカゴ” の30%を買った男
キャバレー “フラミンゴ” の関係者
マヌ・メルツァー:アーレンスブルクの保護施設で暮らしていた身寄りのない18歳くらいの女の子。母ドーリス・メルツァーを捜している。キャバレー “フラミンゴ” に拾われる
ハイケ:キャバレー “フラミンゴ” ではマヌの先輩。彼女と同室で暮らしている。売春宿 “シカゴ” に引き抜かれるが、クラウスの店で働く
イルゼ:キャバレー “フラミンゴ” の女主人。ボスは “シカゴ” のフリーダ・シュルツ
ターニャ:ショーに出ている歌手。トランスジェンダー
その他
ハンネ・クライネ:ボクシングのトレーナー。アンディを指導している
ウルフ・ハンゼン:第15警察署の警官
感想:ほどよく謎を残すヒューマンドラマ
大きなところで3点、謎が残されました。ネタバレ要素があります。読む際はご留意ください。
謎① マヌの父親は?
かつてユッタの客引きだったビートル、警官ウルフのどちらかが父親ではないかと思います。どちらも「自分が父親なのでは」と思い当たる節があったのでマヌ(本名イーシャ)を守ろうとしたのでは。
いくら元締めでも自分の娘ならば売春はさせたくないでしょうし、売春ビジネスの仕組み上、妊娠したからといって警官と結婚することでユッタが娼婦を引退するのも難しかったことでしょう。ウルフとユッタに男女の関係がなかったとしても、ふたりは古くからの知り合いであることが感じられます。
ユッタはマヌに「ビートルに気をつけなさい」と言っていますが、父親が誰なのかが曖昧なままに物語は終わります。
謎② ミーシャを殺したのは?
元締めのひとりであるミーシャが自殺するのは不自然なので殺害されたと思われます。同性愛者が集うクラブにいるミーシャに会いに行ったのはビートルなので、彼が殺したのかもしれませんね。
でも、わざわざ殺した理由はなんでしょう?ビートルとしてはキャバレー “フラミンゴ” のスターとしてマヌを育てることができればいいのだろうと思うのですが、それがミーシャを消す動機になるでしょうか?
「ミーシャの手下で永遠の二番手」と死の床にあるユッタに言われたことがきっかけだったのかな、という気はします。
謎③ クラウスがユッタを裏切ったのは?
エイズに罹患して死期の近いユッタを、彼女の望むインドへ連れていこうとするクラウス。結局ユッタを置き去りにし、自分だけどこかへ高飛びします(行先は謎のまま)。
彼の心変わりがいつ起きたのかと考えると、最もあり得そうなのは “娘の存在” をユッタがクラウスに隠していたことを知ったとき。彼女が自分ではなく “娘のために大金をコツコツと貯めてきた” ことを知ったことも彼の内なる悪魔を起動させる要因になったのかもしれません。
野望はあったにせよ、ユッタのために選んだ元締め人生ではあったので隠匿を裏切りと感じた可能性があります。一方でエロス・センターのフロア獲得のためにクラウディアをフリーダ・シュルツに差し出したり、娼婦ハイケの妊娠により彼女と結婚することを決めたりしていることからもわかるように、クラウスには “ご都合主義” の面があり、近く死んでしまうこと確定のユッタを捨てることを躊躇しなかったとも考えられます。
ユッタの貯めた大金が娘マヌに渡ったのかどうかは曖昧な描写になっています。しかし「どうせ死んでしまうし、自分より娘のほうが大切だったようだから、お金をネコババしてトンズラするわ」と思った線が濃厚。去る人よりも、これからの自分の人生を大切にすることを選んだのだと思います。
シーズン2があるのかどうかは不明ですが、面白いドラマだと思いました。各エピソードの最後に出てくる当時のザンクトパウリとおぼしき写真も目を引きます。