イランの巨匠であり、イランの小津安二郎とも言われるアッバス・キアロスタミ監督作品です。
「風がふくまま」で観た村に魅せられて
最初に「風が吹くまま」を観ました。第56回ヴェネツィア国際映画祭審査員特別大賞を受賞したそうで、葬儀の取材という本当の目的を伏せてシア・ダレ(黒い谷)村を訪れたものの、死期が近いはずのお婆さんがちっとも死なない日々。時間を持て余している間の住民との語らい、エピソードから組み立てられています。
イランは2018年に訪れました。とても素敵な国です。「風が吹くまま」を観て、ますます再訪したくなりました。
「風が吹くまま」については、シア・ダレ村(とされているところ)の家屋に目が釘付け。こんなにも特殊で(私にとっては)、まとまりがないことによってまとまりが生まれていて、何も考えていないようで機能的なのかもしれない集落は見たことがありません。いかなる思想と全体計画に基づくと、こういう作りになるのでしょう。
話の設定ではテヘランの北700kmとのことだったので、Googleマップで少し調べてみました。「ここかな」というところはありましたが、確信には至らず。訪れて、至近から見てみたいです。
次に観た「友だちのうちはどこ?」に打ちのめされる
かつてアッバス・キアロスタミ監督作品にハマっていたという方が「お気に入り」として挙げていた「友だちのうちはどこ?」(原題 “Khane-ye doust kodjast?” )を次に観ました。非常に心打たれる映画でした。
学校から間違って持ち帰ったノートを友だちに返そうと、人づての情報で “友だちのうち” を探す8歳の少年の話。1987年の作品で、こちらも自然や街並みが素晴らしいです。
小学校の授業で、モハマッド=レザはひどく叱られます。先生が宿題をノートに書いてくるよう言ったにも関わらず、ノートを持参していなかったからです。モハマッド=レザが、その件で注意を受けるのは3回目。「同じことをもう一度やったら退学だ」ときつく言われます。子どもたちは、家事手伝いや畑仕事、動物たちの世話などの合間に勉強しています。
下校して宿題をしようとしたアハマッドは、隣の席のモハマッド=レザのノートを誤って持ち帰っていたことに気付きます。明日、彼が教師に叱られ、退学になることがあってはならない、そう思った少年アハマッドは、ポシュテ村に住む彼の家までノートを返しに行こうと思い立ちます。
小学生は、ごく身近な生活圏しか知りません。少し離れた村から通学している友だちの家を探し出すのは、とても大変なことです。時代や場所が異なれば、同級生の家を探していると言えば、大人がネットワークを使って探してくれそうですが、少年アハマッドの声に耳を貸し、関心を払う大人は稀です。
「ノートを返しにいかなくては」とアハマッドが親に訴えても、「宿題をしろ」「赤ちゃんの面倒をみろ」「パンを買いに行け」等、一方的な言いつけばかり。アハマッドは葛藤しますが、ポシュテ村のモハマッド=レザにノートを返しに行くことにします。
ポシュテ村に行ったところで、モハマッド=レザの家がどこにあるかを知りません。人に尋ねて歩き、彼のいとこの家を見つけたものの、いとこはアハマッドの住むコケル村へ出かけたとのことでした。アハマッドはコケルへと戻ります。
村に戻ったところを祖父に見つかり、用事を言いつけられます。そこで見かけた中年男がモハマッド=レザの関係者ではと、追いかけてアハマッドは再びポシュテ村へ行きます。
この辺りの展開に至った頃には、ノートを届けたい一心のアハマッドにすっかり没入してしまっていて、遠くの村へ行ったと思えばまた戻り、いつまで経ってもモハマッド=レザの家がどこかが分からず、日が暮れていく様子に対し、自分事のような焦りを感じてきました。
小学生なので表現が拙く、大人は子どもが何を言っていようと聞く耳を持たず、あるいは聞くふりすらせず無視なので、つくづく気の毒になります。「こうしたら、もっと効率的に家を見つけることができるのでは」と思ったりもしましたが、“子どもは大人の言うことを素直に聞いて行動していればよい” という考え方が社会の基本にあるので、どういうやり方をしたとしても家探しは難航したと思われます(今ではイランの教育事情も変化を遂げているのではないでしょうか)。
やがて出会ったポシュテ村のおじいさんが「ネマツァデ(モハマッド=レザ)の家を知っている」と言うので、同行してもらうアハマッド。おじいさんは「かつて自分は装飾の施された木のドアや窓を作っていたのだが、今では鉄のドアに取って代わられてしまった」と嘆き、道すがら「これも、これも自分の作品だ」と示します。彼は歩みが遅く、急いでいるアハマッドは困惑します。
映画の最後、「えっ!」という美しい瞬間が訪れます。美しい瞬間かどうかは観る人によるのでしょうが、私は凝縮された美しさ、純粋さ、心の豊かさを感じました。アハマッドは、モハマッド=レザの家を見つけることはできませんでした。しかし結果として彼は完璧でした。
数千人が亡くなった大地震後に撮影した「そして人生はつづく」
アッバス・キアロスタミ監督は、職業俳優ではない、一般の人たちを起用しているようです(イランの社会的な事情により)。アハマッド役の少年はアレン・リーチ似で、撮影の舞台となった村で生活していた一般の子ども。モハマッド=レザ役の少年とは兄弟です。
イラン北部は1990年にマンジル・ラドバール地震に見舞われ、数千人が死亡。映画「友だちのうちはどこ?」に出演した兄弟の安否を確認するため、息子を伴って出かけた同監督によるロードムービー「そして人生はつづく」(監督役を起用し、実際にあったことを再現)へとつながっていきます。
コケルの村は全滅したと、道中で出会った人から聞くキアロスタミ監督。道が、亀裂が入ったり、がれきの山で途絶えたりで思うように車で進めず、進路をたびたび変えながらも、どうにかコケル村に到達しようとします。
「神のご加護によって生きる」「神の思し召しによって死ぬ」。身内が数十人も亡くなっても、イランの大人の多くはよく話し、大らかさを失っていないように見えます。監督は大人や子ども、いろんな人から大地震についての証言を得ようとします。
アッバス・キアロスタミ監督作品のいくつかは、Amazonプライムビデオで観られるので、ほかも視聴してみようと思います。
[ロケ地]イラン(ギーラーン州ロスタマバード) ※コケル村(کوکر)はざっくり言うとテヘランとザンジャーンの間くらいに実在