政治変革の弊害を描いたポーランドのドラマ「姿なき犬は虚空に吠える」

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これまでポーランド作品を比較的高く評価してきました。ディスりではなく誉め言葉として独特の陰鬱さ、しみったれた街並みや風景も大好きです。旅行してみたい国のひとつでもあります。

ドラマ「姿なき犬は虚空に吠える」(原題:Wzgórze psów)を観ることにしました。原題を直訳すると「犬の丘」。ヤクブ・ジュルチクの小説が原作。

サスペンスドラマ「サインズ」(原題:Znaki)で警察官役だったアンドリュー・コノプカ(本作ではクシシュトフ・ドボチンスキ役)とヘレナ・スジェツカ(本作ではアガタ役)が出演しています。「サインズ」は記事にはしていませんが面白かった(まずまず)と記憶しています。

こんな感じで物語は始まる

冒頭は次のようなナレーションからスタートします。ひとつながりの語りとなっていますが、恐らくいくつかの段落に分けて解釈するのが妥当でしょう。

ある3兄弟の話をしよう。弟が姉を殺した。これは森の話だ。そして猟犬と戦争の話。父親の話をしよう。逃げて戻ってきた息子の話。これは復讐の話。罪と正義についての話だ。よく聞いて。この話はとても長く、最悪の結末を迎える。あらゆる実話と同じように

シーンは18年前。若きミコワイ・グロワッキは恋人ダリアに捨てられたと投げやりになり、父トマシュはそんな息子を慰めます。その後、森で死体が発見され、ダリアであることが判明します。

現在。ミコワイは妻ユスティナと故郷ジボルクへと車を走らせています。ワルシャワから帰郷することにしたのは、あるハガキを受け取ったためです。その頃、町の人たちは父トマシュの誕生日を祝っていました。田舎の人たちの反応は微妙で、ミコワイらに対して必ずしも歓迎的ではありません。父トマシュとの軋轢もあっていたたまれず、ホテルに宿をとろうと車を運転していたところ、道路に血まみれの男を発見します。

父トマシュに言われて、彼らの家に滞在するミコワイとユスティナ。ミコワイは折に触れ、18年前に死んだ恋人ダリアの幻をみるようになります。彼は謎めいたハガキの差出人であるセバスティアンに面会するため精神科病院を訪れます。「2、1、8」という言葉をミコワイに伝えた後、セバスティアンは自ら命を絶ちます。

ジャーナリストのユスティナはミコワイの父トマシュらと行動を共にし、ジボルクに巣くう闇を探り、社会に対して暴こうとします。

登場人物

ミコワイ・グウォヴァツキ:作家。故郷ジボルクで20年前に起きた殺人事件を題材にした本がベストセラーとなる。依存症を克服しようとしている。故郷の仲間内では “ブラディ”

ユスティナ・グウォヴァツカ:ミコワイの妻。ジャーナリスト。編集部のヤツェクが上司。彼女の指示で調査を行っているのがティメック

トマシュ・グウォヴァツキ:ミコワイの父。後妻アガタとふたりの子ども(ユルカヤセック)とジボルクで暮らしている。地域のリーダー的存在

グジェシェク・グウォヴァツキ:ミコワイの兄。多額の借金があり、クスリ漬け

ダリア・マスウォフスカ:ミコワイのかつての恋人。18年前に殺害された

セバスティアン・マスウォフスキ:ダリアの兄弟(字幕では兄になったり、弟になったりしている)。知的障害(+精神障害?)がある。「すばらしい本だ。君が真実を書いたら、精神病院に入れられる」というハガキの差出人。またの名を “ギズモ”

カシュカ・マスウォフスカ:ダリア、セバスティアンの妹

エルカ・ワリノフスカ:ジボルクの住民。ミコワイの美術の教師だった

フィリップ・ベルナット:ジボルクの住民。暴行を受けた状態で路上で発見される。妻グラジナ息子マレクがいる。土地持ちで裕福な家系

ベルナット神父:ジボルクの司祭。フィリップの兄。精神科病院にいるセバスティアンをしばしば訪問していた

マチウシ:ジボルクの住民。花屋を営んでいる。ミコワイの兄グジェシェクの友人でクスリ漬け

ヤレツキ:ジボルクの住民。音楽が好きでバンドのメンバー。最終エピソードで失踪する。妻はヤレツカ

ピオトレック:ジボルクの文化担当議員

クシシュトフ・ドボチンスキ:警察官(髭少なめ)。妻は検視官

ウィニッキ:警察官(髭多め)。ドボチンスキの部下

ヨハン・カルト:ドイツ人。マフィアであり、ジボルクで資金洗浄している。町長や副町長、文化担当議員らと手を組んでいる。表向きには投資家ということになっている

トベック:マフィアのボスでジプシー。ガヴィワという息子がいる

マルケヴィッチ:検事。ダリア殺害事件を担当した

ウィッチャー:不要となったスマホの売買をしている

パトワ・クリムスキ:逮捕されたトマシュの弁護を行う

感想:おそらく原作を表現しきれていない

閉鎖的なコミュニティを描くのはポーランド作品の得意分野と思います。それを除くと、原作とドラマでは違った印象を与えているのではないかと思いました。※ 原作そのものは読んでいないため、解釈がズレているかもしれません。もとの小説は、いくつかの文学賞を獲得した人気作品のようです。

原作はこんな感じ
  • (直訳)ミコワイの父トマシュは、長年虐待してきた妻の死から立ち直りたいと願っている ⇒ (ドラマを観ての感想)立ち直りたいも何も「妻を虐待していたのはお前だろ」な世界だが、妻の死を契機として年寄りなりにもっとマシな人生へと立て直しを図りたいと思ったのだろうと解釈することにした
  • (直訳)上記の目的のために、トマシュはカルト(ドイツ人のマフィア)と共謀し、斜陽の町の首長を解任しようとする ⇒ (ドラマを観ての感想)トマシュが民衆の立場に立つ正義の味方なのか、私利私欲を求める悪党なのかが最後までわからない(単純に二分できるものではないが)。誤算もあったように思うが、トマシュなりの収まりの付け方がドラマでは描かれる
  • (直訳)ミコワイと彼の妻は、父トマシュや町長、謎のドイツ人カルト、彼らの息のかかったギャングたちが関係する多くの事柄をサポートする ⇒ (ドラマを観ての感想)…と書いてあるのだが、ドラマではそこまでサポートしていたように思えない。「サポートする」とは「関わった」という意味だろうか?それなら多少は腑に落ちる。妻ユスティナは義父トマシュの味方だったかもしれないが、ミコワイは結局のところ、そうでもなかった(父親に潰される)
  • (直訳)この小説はポーランドの政治変革の悪影響を描き、資本主義体制の犠牲者の「犬の生活」を示している。民営化は小さな町の人々の暮らしを破壊し、腐敗した役人が利益を得るために悪用された ⇒ (ドラマを観ての感想)…と書いてあるのだが、ポーランドの政治における路線変更に疎いこともあり、民営化によって民衆が憂き目に遭ったことが同国特有のトピックだったようには感じないのである(わりと普遍的な現象と思う)。いかんせん、かなり大きなテーマを描こうとしていたことだけはわかった

旧家族(父トマシュ、兄グジェシェク、虐待され続けた亡き母)⇒ 新家族(父トマシュ、義母アガタ、異母妹ユルカ、異母弟ヤセック)というメタモルフォーゼの内に、過去への赦しと決別はありえるのでしょうか。社会主義から民主化に向かっても本質的に変わらない故郷、人々に絶望するミコワイ。その点をうまく整理・配分・関連づけできていれば、ポーランドにおける「犬の生活」の救いのなさを、もっと上手く表現できたのではないかと思います。

最終的にはもろもろの種明かしがなされるわけですが、それでも「なぜそれらを選択したのかが、わかりづらい」。行政や自治の腐敗、それに対して立ち上がる民衆。ドラッグ問題や性犯罪、家族のトラウマ…。結局のところ、グウォヴァツキ・ファミリーは父トマシュの旗振りにより「呉越同舟」を選択します。すなわち新たな利権、新たなゴッドファーザーの誕生です。おそらくは大きな像(国の話)を細部の出来事(家族の話)を通して語ろうとしたけれど、とっ散らかって上手く整理できなかった。そんな感じです。セバスティアンの「2、1、8」⇒ 死(なぜにあのタイミング?)の謎なども完全には回収されていませんし。

物語のはじめはミコワイが主人公のようでしたが、最終エピソードに向かうにつれて妻のユスティナのほうが主要な役回りを担うようになっていきます。不思議なことにIMDbの配役をみても端役まで網羅されているのに「ユスティナ役」だけはクレジットされていません。演じているのは誰?

[ロケ地]主にドルヌィシロンスク、次いでマゾヴィエツキ

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