自分の属する国家を「まともな共同体」だと思っていませんか?特に日本においては顕著な気がします。「お国が自国民にとって悪いこと、不利益なことを考えたり、したりするわけがない」「政府は自国民を第一に考えてくれている」という性善説で政治や行政を眺めていませんか?疑うことを知らない羊たちが日本国民だと思っています。
一方、他国はどうなのかと目をやると、その惨状には目にあまるものがあります。「国家主導者たちは国民のことなど二の次、三の次」を感じさせるアルゼンチンのドキュメンタリーが映画「フォトジャーナリスト殺人事件[アルゼンチン政財界の腐敗と闇]」(原題 “El Fotografo y el Cartero: El Crimen de Cabezas/The Photographer: Murder in Pinamar” )。
実話に基づいた映画「アルゼンチン1985~歴史を変えた裁判~」を視聴し、ひとしきり感動したところで本ドキュメンタリーを観て「人々の尽力があったとしても社会上層部(権力と財力をもった人たち)の腐敗は根強く残っているのだな」という感慨にふけることになった私です。
事件当時のアルゼンチン政界事情
1997年1月25日、ヘネラル・マダリアガにおいて炎上した車内からノティシアス誌のフォトジャーナリスト、ホセ・ルイス・カベサスの遺体が発見されます。
1997年といえば正義党のカルロス・メネムが大統領だった時期。彼は権力誇示の一環として、派手な消費を行っていたようです。毎夏、有名な高級リゾート地ピナマールで政治家たち、メネミズムの主要人物を集めての交渉やパーティーを行っていました。
恐らく日本のバブル時代のような光景が繰り広げられていたのでしょう。しかし景気のよい雰囲気が永続するわけもなく、メネムは1999年に退陣。政権末期には放漫財政による赤字、対外債務が急増している状況でした。
「アルゼンチン1985~歴史を変えた裁判~」で有罪となった軍の幹部たちが恩赦になったのもメネム政権下においてです。
ホセ・ルイス・カベサス記者らの仕事とは
日本においては、ジャーナリズムの役割を果たす報道機関や記者が大変少なく、大抵は御用記者による御用記事なので、個人的には何も期待していません。
2000年が間近となった時期、アルゼンチンのジャーナリズムはどのようだったのでしょうか。殺された記者の所属していたノティシアス誌はニュース雑誌であり、表紙写真のほとんどが政治的な意味合いを含んでいました。
同誌は独自調査に基づいたスクープ記事を掲載する努力を重ねており、記事内容を象徴する写真をとても重要なものと位置付けていました。ホセ・ルイス・カベサスはフォトジャーナリストとして核心を掴んだ写真を撮影しており、それを疎ましく思う人たちがいました。一般読者の目にはニュースバリューの核心を掴んだ話題性に富んだ写真に映りますが、その報道によって不利益を被る人たちは心臓を掴まれ、息の根を止められる気分になるのだと思います。
日本のメディアも、かつては政治の流れを変えるようなスクープ記事を飛ばしていた気がするのですが、世の中に真実を伝えたいという血気盛んな時代は終焉を迎えたのかもしれません。
民主主義政治か、軍事独裁時代の再来か
ホセ・ルイス・カベサスの殺害は、ジャーナリズムの世界のみならず、広くアルゼンチンの人々に強い問題意識を生みました。1983年以降、民主主義政治となったはずが、暗黒の軍事独裁政治の復活を思わせたからです。
メネム大統領の評判は悪く、メディアによる汚職の告発も多数ありました。社会上層部にとって不都合な事実を報道することで闇の力に粛清されることが示唆された本件をきっかけに、記者たちは「このような状況で誰が我々を守ってくれるのか?」と恐怖に陥りました。記者たちに対する “見せしめ” とも受け取れるからです。
「汚い戦争(1976年から1983年にかけてアルゼンチンを統治した軍事政権によって行われた国家テロ)」を経て民政化社会に生きる民衆にとっても、政治の報道に携わる記者が意図的に殺害されたとなれば由々しき問題です。
“カベサスを忘れるな” を合言葉として、事件の糾明と正義を求めて立ち上がります。正義を求める人々の行進は各地へ広がりをみせました。
この “カベサスを忘れるな” は当初「彼の殺害事件を風化させるな(事件を闇に葬るな)」という狭義の意味で使われていました。しかし後に、もっと深い意味をもつ言葉としてアルゼンチン社会に浸透していきます。
事件に対する政治家たちの反応
戦々恐々としたのは記者や一般大衆だけではありませんでした。
エドゥアルド・ドウアルデは事件当時のブエノスアイレス州知事。メネム大統領と反目していた彼は大統領選への出馬を控え、この殺人を自分へのメッセージととらえました。「こんな事件は民主主義復活以降初めてのこと。再発の可能性がある」と危機意識をもち、犯人や犯行組織を特定することに協力的でした。
ドゥアルデ知事と政治的に不仲なメネム大統領は「これはブエノスアイレス州の問題であり政治犯罪ではない」という声明を出して自ら蚊帳の外となります。カルロス・コラチ内務大臣も「確認を経て事件は終結」との判断を示します。
実行犯は見つかったものの…
まず最初に犯人とされたのはマル・デル・プラタの5人組。タレコミに基づく逮捕です。その後、別のルートから異なる実行犯たちが逮捕されます。
指揮したのはグスタボ・プレジェソ(ブエノスアイレス警察)。ともに動いたセルヒオ・ルベン・カマラタ、アルバル・ルナ、シルビア・ベラウスキー(プレジェソの元妻)も同警察で働く警官たちでした。そしてロス・オルノス(貧困地域)のギャング4人も逮捕されます。
しかしながら現役警官とギャングが組んで、フォトジャーナリストを殺害する理由が見えてきません。黒幕の存在が感じられました。
裕福な実業家の関わりが浮上
この事件には政治家や警察組織の関わりが感じられましたが、ジャーナリスト殺害に対する動機のある存在を探し当てなくてはなりません。浮上したのは富豪の実業家アルフレド・ヤブラン。シリアからの移民で軍事独裁政権と取引、民主政権になってもその関係を維持していました。
特に郵政事業は彼の独占状態にあり、アルゼンチンに届く荷物はすべてヤブランの会社を経由する仕組みになっていました。闇社会のマネーロンダリングにも関わっていた形跡があります。彼は警察とも癒着していました。
減刑法の適用
関わった警察官やギャングは、ほぼ全員が終身刑の判決を受けました。その数年後、ブエノスアイレス州では刑期が短縮される減刑法の適用がスタート。獄中で死亡した2名を除く全員が、その仕組みを使って釈放されました。現在、この殺人事件の関係者は刑務所にひとりもいないそうです。
アルゼンチンは恩赦とか減刑とかが好きですね。刑務所が満員なのでしょうか。犯罪の多くが政財界や軍部とつながっているからでしょうか。そんな疑問が湧きます。
フォトジャーナリスト殺害事件により、アルゼンチンの人々は政財界の腐敗が深刻であることに気付かされました。軍事独裁政権が終わり、民主主義政権になれば過去の闇が消えていくというものではないのだと。
“カベサスを忘れるな” は社会上層部の膿を放置することなく、あるいは闇に葬り去ることなく、正義の名のもとに公正な社会を求める人々の合言葉となり、今も生きているそうです。アルゼンチンの人たちは “熱い” です。政権の主義主張が数年レンジで変わり、戦争や経済面での浮き沈みも大きいという環境要因、「汚い戦争」に対する司法による裁きの体験から「自分たちが立ち上がらなくては」という思いが強いのかもしれません。