ギリアン・フリン作のベストセラー小説「Sharp Objects」を原作とするHBOのドラマ「シャープ・オブジェクツ」をなんとなく思い起こさせる作品でした。同作はかつてAmazonプライビデオで追加課金なしで視聴できました。現在は課金が必要なようです。
「シャープ・オブジェクツ」は “精神疾患の治療を終えたカミーユ・プリーカーは2人の少女の殺人事件を解決しようと故郷に戻る。しかし、彼女は自分自身の悪魔とも向き合い、対処することを余儀なくされる” という内容でした。
観ている側もヒリヒリする強迫的な感覚を共有でき、秀作だったと思います。
一方、スペインのサスペンスドラマ「スノーガール」(原題:La chica de nieve)はハビエル・カスティージョの同名小説が原作。シーズン1が「ああ、そうなんですね」という感じで終わっていて特筆することがないように感じましたので、これまで何も書いていませんでした。シーズン2まで観て思うところに変化がみられましたので取り上げます。
一言でいうと「しっとりとした暗い物語」なのですが、人間の精神活動のもたらす不具合/不気味さを神という概念との間で描き出しています。
あらすじ
シーズン1と2では記者ミレンが追う事件が異なっています。しかし両者はつながっています。
シーズン1は少女失踪事件とインターンの記者ミレン自身の過去の性的暴行被害によるトラウマを主に扱っています(2010年時点でミレンは「まだ大学生」と言っている)。場面が2010年と2016年、2019年などを行き来します。
シーズン2では高校を舞台とした複数の若い女性の行方不明、死にまつわる事件を通じて、シーズン1から引き続いて闇の動画サイト “スライド(滑り台)” の真相に迫ろうとするミレン記者らの姿を描いています。
シーズン1は2に続く前提で制作されていたと推察されますが、シーズン2より1のほうが評価が高いようです。
シーズン1
2010年1月5日、マラガでは恒例のクリスマスパレード(カバルガータ:“レジェスマゴス” と呼ばれる「三賢者の日」の前日に行われる)が盛大に繰り広げられていました。雨が降り始めます。風船を欲しがる一人娘アマヤを連れた父は目を離した隙に娘がいなくなったことに気づきます。
両親は必死で捜しますが見つからず、警察が捜索に乗り出します。
地元の新聞社 “ディアリオ・スール” も少女失踪事件を追います。ミレンはインターンであることを理由に担当させてもらえませんでしたが、独自に取材を開始。指導役のエドゥアルドは彼女をサポートします。
警察は風船売りの男、アマヤと顔見知りの男ダビド・ルケを取り調べます。しかし別件での違法行為が露呈したものの、アマヤの発見には至りません。アマヤの両親はうまくいかなくなり、その後離婚したようです。
ミレンを指導するエドゥアルドは、彼女の過去の性被害について書くことを勧めます。
2016年、“ディアリオ・スール” 編集部のミレンの元にビデオテープが届きます(彼女は既にインターンではない)。そこには成長したアマヤと思しき少女が映っていました。捜査線上にジェームズ・フォスター・ブラウンが浮かび上がります。彼が誘拐犯であるとの証拠は見つかりませんでしたが、彼への取材を通じてミレン自身のレイプ動画が “スライド(滑り台)” という動画投稿サイトで公開されていたことを知ります。
2019年、新たなビデオテープをミレンは手にすることになります。ジェームズ・フォスター・ブラウンとダビド・ルケが殺害されます。
アマヤの失踪事件、その派生でレイプ動画の闇サイトを追い続けるミレン。指導教官に勧められ、著作を書き上げていくミレン。大別すると、ふたつのレールを基にストーリーが展開していきます。
シーズン2
シーズン1の最後は2021年のシーン。ミレンは著作「スノーガール」の朗読会をマラガのモンタニャ書店で開催。エドゥアルドと書店を去ろうとしたとき、“遊ぶ?” と書かれた封筒を受け取ります。開封すると “ラウラ・バルディヴィア 2012年” と書かれた、両手首を拘束されて目隠しをされた女性の写真が入っていました。
その辺りをオーバーラップさせつつ、シーズン2へとバトンが渡されます。
ミレンは背後に怪しい人影を感じて振り返り、フードを被った人物が立ち去るのを目撃します。ミレンは2012年に失踪したラウラについて調査を開始。
一方、ミラン警部とチャパロ警部は宿泊施設内部に磔にされた少女の遺体を確認。17歳のアリソン・エルナンデスであることが判明します。手首にはナイフによる切り傷の跡があり、自傷行為と思われました。
彼女の磔写真が遺体発見者の若者らによってマラガの全新聞社に送られます。ミレンと新顔記者ハイメは編集長パコの指示で事件を追うことになります。ラウラもアリソンもマラガの名門校ロス・アルコスの生徒でした。
事件の取材&捜査に入れ込み過ぎるミレンを戒める恩師エドゥアルド(教え子で若いミレンのほうが常にエラそう。なぜなの?)。彼は大学の試験監督中に倒れ、急逝します。
やがてミレンは、アリソンが “魂の悪戯” というゲームから逃れられなくなっていたことを突き止めます。秘密のWEBサイトを通じて “神の使者” を名乗る者とコンタクトを取り、“罪のマントを脱げば真実の光に照らされる” というメッセージを受け取ります。
事件や組織の真相を暴くため、ミレン自身も身を挺してゲームに参加。“苦しまずして天国へは行けない” “私は君を罪悪感から救いたい” 等、“神の使者” からのメッセージに触れ、ミレンは破滅的な状況に追い込まれていきます。
一方、ミレンと組んでいる記者ハイメはラウラの元恋人トマスと接触。彼は彼女の失踪と “スライド(滑り台)” との関わりについて言及します。
登場人物
共通
ミレン・ロホ:マラガの新聞社 “ディアリオ・スール” の(2010年時点ではインターンの)記者。2009年にデートドラッグを用いての性的暴行を受け、その傷が癒えていない
エドゥアルド・ベルガラ:マラガの新聞社 “スール” の記者&編集者であり、ミレンを指導するメンター。恐らくは、ミレンの通う大学で非常勤講師として教鞭を執っていた関係で、教え子の彼女を “ディアリオ・スール” にインターンとして迎えて面倒をみている、という関係だったのが2010年。2016年には新聞社を退職し、教官が本業になっている
パコ: “ディアリオ・スール” の編集長
ベレン・ミラン:司法警察(マラガ県警)の警部。ミレンとは知り合い。セルギオという息子がいる。シーズン2では金融犯罪課への異動が予定されている状況
チャパロ:ミランを補佐する警部
シーズン1
アマヤ・マルティン・ヌニェス:5歳の少女。クリスマスパレードの最中に姿を消す
アルバロ・マルティン・ベラスケス:アマヤの父で漫画家
アナ・ヌニェス:アマヤの母。不妊治療を行う医師。父は起業家のパコ・ヌニェス
ダビド・ルケ:アマヤの父アルバロの友人で引っ越し会社を経営。妻ロサ、サムエルという息子がいる。性的暴行の前科がある
ホアキナ・トーレス:アマヤの黄色いレインコートが発見されたアパートの住人
ペドロ・ロペス:ダビドの1983年の事件を担当していた元警部
ジェームズ・フォスター・ブラウン:サンヨーのビデオデッキを購入した男で性犯罪歴あり。マラガでキャンピングカー暮らしの英国人
ロシオ:エドゥアルドの知り合いのビデオアナリスト
イリス・モリナ:アマナのビデオを撮影したと思われる女性。サンティアゴ・バリエホというパートナーがいる
ラウル・アギラル:銀行員でサンティアゴの融資担当者
シーズン2
ラウラ・バルディヴィア:2012年2月4日に失踪(当時17歳)。発見に至らず、警察は家出として処理。マラガの名門校ロス・アルコスの奨学生だった。イグナシオ(ナチョ)・バルディヴァ・ルイスという弟がいる。おばメルセデス、おじクリストバル(光の会代表)と暮らしていた
トマス・メンドーサ・サントス:父アルベルトは富豪。当時のラウラのボーイフレンド
アリソン・エルナンデス:磔にされて殺害された17歳の少女。ロス・アルコスの奨学生。ファナという祖母がいる。イグナシオ(ナチョ)と同じクラスだった
ハイメ・ベルナル:“ディアリオ・スール” に新しく入社した記者。編集長パコの指示でミレンと組む。かつてロス・アルコスに通っていた。元妻キャロルとの間に娘オリビアがいる
アンドレ・ガリド:ロス・アルコスの校長。元神父
ソフィア:ロス・アルコスの古株っぽい受付
ロベルト・サルセド:アリソン殺害について取り調べを受ける。サンタ・エウラリア教会の雑用係
ルイ:サンタ・エウラリア教会の神父
クリスティーナ・サントス:財団法人ホルヘ・ランド博物館の仕事をしている。ロス・アルコスの卒業生でハイメ・ベルナルの友人。トマスの母
エステバン・ルイス:ハイメ・ベルナルの遠い知人。トマスの父アルベルトの差し金でトマスから取材の手を引くよう忠告にやってくる
ボルハ・ピネダ:ロス・アルコスの生徒。バイク事故により退学
フリオ・ロマン:ラウラ失踪事件を担当した警部
ヨランダ・ラミレス:産婦人科の医師
マヌエル・ラモス:マラガ屈指の情報通。ハイメの知人。1983年3月の事件について触れる
エミリア・ペドラサ:1983年3月に死亡した女子生徒アリシア・マルトスの当時の担任
感想:癒されないトラウマが作り出す世界を描写している
シーズン1と2はつながっているが質が異なる
シーズン1の種明かしをすれば、子宝に恵まれなかった夫婦が偶発的に迷子のアマヤに出会って連れ去った、そんなお話。夫婦のうち妻のほうがクレイジーで夫をコントロールしています(ただし根っからの悪人ではない。ゆえに成長したアマヤのビデオテープを送り付けている)。真相を知れば「あっそう」というシンプルなストーリーですし、なぜ9年も少女を発見できなかったのかが不思議。続編へとつながる前提で作られているようだったので「それではシーズン2を待ちましょう」というのが率直な感想でした。
シーズン2は名門高校に継承される “魂の悪戯” というゲームの話。限界ギリギリのことを命をかけて達成すると “神の使い” が神への信仰の証として “神に代わって承認を与える” という強迫的な仕組みです。信仰うんぬんの大義名分はともかく “神の使い” はゲームを通じて自らのサディスティックな欲求を満たしているに過ぎません。シーズン1に比べると “人間の傷や弱さが作り出す悪徳と苦しみ” に、よりフォーカスしています。
両シーズンに通底しているのは、記者ミレンには少女失踪事件に執着してしまう傾向があり、それは彼女自身の過去と関わりがある、という点です。
逃げ場のない “神(超自我)と赦し” の世界
聖書には疑うことなく神を受け入れ、指示に従うことで、神に救われる/奇跡を目の当たりにする人々の話がいくつも出てきます。神の国に入るには信仰の証を示すことが必要なのです。
しかし “魂の悪戯” ゲームの場合、“合格だ。次のステップへ進め” というジャッジを行うのは “神の使い” を名乗る人物。狂信者だったり、人格面で常軌を逸した部分があったり、本来なら異常値に分類される人たちです。同胞を思いやって適したペースで善き方向へと導くのではなく、自らの権力と相手の恐怖心を悪用し、顕在/潜在を問わず、なにがしかの罪悪感をもち、赦しを求める人たちの心身を支配していきます。結果として、あたかも崖からジャンプさせるかのごとくに破滅へと導きます。ゲームによって幸せになった人はいません。
“魂の悪戯” ゲームに限らず “贖罪/赦しを求めて何かをする” のは人間の行動原理のひとつ。今よりマシな人間になりたい人(マシな人間になったと思いたい人)は多いのです。ドラマのなかに「ゲームに参加したのは、生きているという感覚を得たかったからだ」という証言が出てきます。罪悪感を解消できておらず、痛みを感じながら、どこか日陰者のように暮らしている自覚をもつ人たちは「自分を生きている感じがしない」のだと思います。
誰しも人生においてトラウマや後悔はありますが、それに引っ張られると大きな魔に付け入られることを表現したドラマとも感じられました。人間、ちゃらんぽらんなほうがいいこともあります。闇や苦しみを抱える人たちに対して “神の使い” は超自我として機能します。しかし、そういった存在に認めてもらったり、許してもらったりしても意味はありません。
このドラマでは “魂の悪戯” ゲーム、“神の使い” という極端な性質を使って表現していますが、 “プチ・魂の悪戯” ゲーム、“プチ・神の使い” みたいなのは世にあまた存在しています。
人生をありのままに味わうなら「自分で自分を赦すこと」のほうが大切。赦しをほかに求めることは、いつまで経っても条件付きのOK、相手の都合で突き付けられるNOに翻弄されることになり、解決に至ることがありません。
“神の使い”役をゲームの指揮に駆り立ていたのも、計り知れない孤独と私怨であったことが判明します。傷や痛みを抱えている人はロクでもない人物や状況に引き寄せられるし、ロクでもない人物もまた傷や痛みを抱えているものです。本作においては、その描写に時間を割いているように感じられました。
「被害者は完璧じゃない。それでいい」
上記(小見出し)は作中でのミレンの言葉です。「それがどんな人であったとしても、被害者は被害者なのだ」と。完璧なふるまいをする、完璧な人間でなければ被害者として認められない、ということではありません。
マラガの書店での朗読会で、彼女はこんな一節を読んでいました。
レイプされた日、私は洞に入った。出口のない深く暗い洞へ。忽然と姿を消したアマヤのように、当時のミレン・ロホも洞に消えたのだ。当時の私は、ただ暗闇でおびえる少女。イリスがアマヤの無事を知らせるテープを何度も見た。映像はいつも砂嵐(スノーノイズ)に切り替わる。まるでアマヤが白い粉雪と化すように、手の中で溶ける雪ではなく、決してつかめない粉雪へと。
雪景色が登場するわけではないのに「どうして『スノーガール』というタイトルなんだろう?」と思いながら視聴していたわけですが、「スノーガール」とは消えた少女のことであり、自らを見失った暗闇にいるミレン自身でもあります。
ミレンが失踪した少女にこだわったのは、ミレン自身がレイプ事件によって砕け散っていたからです。
これは何かの伏線なのか?
シーズン2の最後、マドリードのクリーニング店にある “スライド(滑り台)” の拠点に警察が踏み込みます。唐突に登場する “マドリードのクリーニング店”。その経緯が説明されていない点に私は満たされないものを感じました。
シーズン1・2を通じて、捜査が後手に回り勝ちだったミラン警部らが本気を出したのでしょうか(金融犯罪課への異動は取り消したのかも)。
画面には「ミレン・ロホ 2009年」という記録媒体の隣にある「クリスティーナ・ルイス 2000年」も字幕化されます。わざわざ字幕にしているのには何か意味があるのかな、と思い調べましたが、“クリスティーナ・ルイス” は本作の登場人物ではなさそうです。トマス・メンドーサの母がクリスティーナであるものの、彼女の姓はサントスとされています。
「シーズン3がある説」を見かけましたが、どうなんでしょうね。“クリスティーナ・ルイス” が何かの伏線だとしたら、それはそれでよい気がします。
シーズン1のほうが評価が高いのはなぜ?
あくまでもIMDbにおいてですが、シーズン1のほうが2よりスコアが高い点について個人的には解せません。
シーズン1は何か(例えばアマヤの母の元患者を調べることくらいはするだろうに捜査が進まなかった理由/行方不明になっていたアマヤ自身の真実等についての描写)に失敗していたと思います。
シーズン2は好き/嫌いが分かれる内容と感じました。メタ目線で括ると①ダークWEB、②レイプ動画、③名門校に潜む闇の組織、④罪悪感・孤独感を抱える人たちに対する強迫観念の強化、みたいな話自体は珍しくないし、ミレンがしばしば見せるフラッシュバックへの苦悶がヒステリックに感じられて居心地が悪くなる視聴者がいたかもしれません。
私自身はシーズン2まで通して観たことによって、スペイン社会のもつ陰鬱で旧弊な一面を見ることのできる作品だと思うに至りました。