楽しかったイラン&アゼルバイジャンの旅も終わり、帰国しました。
さてイランと言えば、栄華を極めたペルシアです。金銀財宝てんこもりのゴレスターン宮殿。
残念ながら、栄華を極め続けることに成功した国家はありません。今のイランはインフレが進み苦境に立っています。時間軸においては、いいときもあれば悪いときもあります。常に波のなかにあります。
イランは昔の大金持ち。それに対してアゼルバイジャンは今の大金持ち。バクー市街を走っている車は、ベンツ、BMW、ベントレーのどれかです。
2025年の万博、バクーも開催地に立候補しています。大阪は、お金もないのに万博誘致をしてはいけません(後の世代に負債を残すことになりそう)。物質的な面で、今の大阪がバクーに勝つことができるのは水洗トイレのクオリティだけです。日本の水洗トイレは世界最高水準にあります。
(後日追記)残念ながら大阪に決まってしまいました。コロナうんぬん抜きにして、私はオリンピック誘致そのものにも反対です。経済もろもろシュリンクしていく老人国家のなすべきことではないと考えるからです。
「私、お金を持っています」「たくさん稼いでいます」という人がいます。「私、お高いものを買っているの」「安いものを使う気になりません」という人がいます。
どちらもそれほど羨ましい存在ではありません。私にとって理想の姿は「金遣いの上手な人」。つまり無駄のない人。それこそが、私にとっての「お金持ち」。
上手に使ってこそ「お金を持っている」ことに意味が生まれるし「お金(という価値のツール)を活用している」すなわち「本当の意味でお金を持っている」と表現できるからです。
派手に稼がなくても困ることがなく、派手に使わなくても心身が充足しています。すなわち燃費が良いのです。
お金をもつことでもろもろの痛みを感じずに済むようになるし、人生の真の課題から目をそらすことができるので「お金があると何かと都合が良い」のは確かです。
「派手に稼ぐ」「派手に使う」というのも、人生のどこかで経験してみたいことのひとつかもしれません。通過地点としての意味はあるのでしょう。