アイキャッチに使った画像は15年前の2003年4月、ヒマラヤのシャンポチェ(4000m)までトレッキングをしたとき、その付近から撮影したものです(メンバーによる撮影)。
どれがどれだったか忘れてしまいましたが、エベレスト、ローツェ、アマ・ダブラムともうひとつ、何とかという山。へたれの私にしてみれば4000mで十分にしんどかった。
「エベレスト 3D」を観ました。1996年のエベレスト大量遭難事故を映画化したものです。エベレスト大量遭難事故について知りたい方はコチラをご覧ください(Wikipedia)。
エベレストと言えば1953年、イギリス隊のエドモンド・ヒラリー、シェルパのテンジン・ノルゲイが世界で初めての登頂に成功。以降40年、数多くのプロ登山家たちが登頂を目指しましたが4人に1人が死亡。
1990年代半ばに至り公募隊による商業登山が主流となり。アマチュア登山家であっても必要な費用を負担すればエベレスト登山に参加できるようになりました。
あらかじめシェルパやガイドによるルート工作や荷揚げなどの御膳立てがなされるため、過去の長きに亘って必要とされてきた、登攀技術や登山経験が乏しいままに入山しても、ガイドとシェルパの助けにより登頂が可能となったのです。一方で商業登山が人気を集めたことにより、ルートが狭い場所においては登山家が渋滞し長時間待つようなことも増えたと言います。
そんななか起きたのが1996年の大量遭難事故。
商業登山隊長、ガイド達、シェルパ達、医師達、さまざまな国籍・職業からなるツアー参加者達などいろんな人達が複雑に関わり合います。
隊長による計画、メンバーそれぞれの役割と立ち位置における判断、刻一刻と変化する状況、各人の健康状態やバックグラウンド、天候や気候、ほかの登山隊との相互協力体制など。いろんな条件や選択の重なり合いにより過酷な状況に追い込まれ、10名近くの人々が命を落としました。
「あのとき○○だったら」「こういう決断をしていたら」「△△隊が協力してくれたら」という “たられば” を20個くらい積み重ねると、ひょっとしたら隊の全員が登頂でき、命を落とすことなく下山できた感があるのですが…。
果たしてそういうこと(あたかも、いくつもの選択肢があったかのように見え、実際にそれらから自由に選択することができたはず、という状況)は、あり得たのか。
感想やレビューを見ると、細かな判断ミスに不幸な状況/事情が重なったことによって起きた事故と捉える人が多いようです。例えば・・・
- 商業登山隊間の調整不足により、難所で登山渋滞。貴重なボンベの酸素が待機に費やされた
- 頂上をアタックする日へのこだわりがあった(4名の犠牲者を出したAC隊の隊長ロブ・ホールは、5月10日にこだわった)
- 登山技術の未熟な、手のかかる登山客にロープをくくりつけて引っ張って登っていたために、グループ(AC隊+MM遠征隊)の前を歩き、難所にロープを張るはずだったシェルパがいなかった(彼が持参しているはずのロープも提供されなかった)
- AC隊においては、14時には引き返すとしながら実際には引き返さず、16時過ぎまで山の頂で、隊長が遅れた顧客を待った
- 重要な任務を果たすべきMM遠征隊のガイドがさっさと登頂し、顧客の面倒をみることなくさっさと下山した
- 高度障害(高山病)で認知力、判断力が低下したガイド、顧客が続出。下山時に備え、準備していた酸素ボンベを空と誤認したため、酸素不足に陥った、など。
そして上記のようなことが、すべて、あるいは一部であっても生じていなかったとしたら、そこが運命の分かれ道であり、あのような事故は起こらなかったといえるのでしょうか。
私なりの結論は既にあって、運命としての死を前にしたとき、すべての選択は自動的に死に向かう、となります。多重事故のように、因に縁が触れまくりの、いろんな人や状況が関わる場合は、なおさら。
万が一回避できるとしてももっと以前、それぞれの人がそれぞれの国で、普段の生活をしていてこのツアーに参加しようかどうしようかと思案する辺りまで遡っての選択によるもので土壇場でどうこう、というようなものではないと思います。
4名の死者を出したAC(アドベンチャー・コンサルタンツ)隊のメンバーだったアウトドア雑誌編集者ジョン・クラカワーの著書。
「空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)」
厚さ3センチに近い文庫本ですが、引きこまれ1日で読破。映画を観てから、読むのがオススメ。