「マトリックス」「マトリックスリローテッド」「マトリックスレボリューションズ」と見ました。
一作目が一番好きです。いろんな記号が埋め込まれた映画です。
観るたびに違った感慨をもたらす映画でもあり、今回の視聴では、私たち人間の営みがどんどん二次元化していることを強く感じました。
昔の旅行写真を見て旅行記を書き/読み、追体験をするのも二次元。アマブラやNetflixで映画やドラマを見るのも二次元。コロナ禍以降は、仕事の打ち合わせも、買い物も、飲み会もインターネット回線を使ったリモートで行うことが進み、家の外に出る必要がなくなってきています。でも自分を中心とした世界や世界観の軸は変わりなく、過不足なく諸々が循環しています。人生の大概のことは、ここ(情報通信網の中の体験)で完了できるということに、コロナ禍を通じて気づきました。
マトリックスとは、物事を生成するプログラム。
私たちの人生そのものが、マトリックスの仕組み、情報や通信の網に組み込まれていて、その枠を超えることは通常ありません。私たちの喜怒哀楽も行動も、マトリックスの中での「刺激とそれに対する反応」の図式を出ることがないのです。昔のSFドラマなどによく出てくる、カプセルの中で眠っている人間たち。あれと同じで、体験していると思っている人生は「脳内で起きている、あるアルゴリズムに基づいた世界の感知に過ぎなかった」という展開と似ています。
私たちは自由に選択しているつもりでも、プログラムのなかでそういった気分を味わっているだけで、増殖しつづけるエージェント・スミスによって追跡され、いっときたりともマトリックスから自由になることがありません。マトリックスに従って生きています。決まったプログラムのなかでの選択と自由を楽しんでいる私たちも、ときに考えます。「この世界を超えるものがあるのでは」と。
マトリックスから真に自由になる道には危険が伴います。しかし命の旅はそこから始まるのです。
でたらめでも誇張でもなく、この映画に描かれている通り、人間とはコンピュータプログラムみたいな仕組みの中で生きている架空の存在なのだなあとつくづく感じた作品です。いわば、ある意図に基づいて養殖されている魚みたいなもので、それらをコントロールする者、エサを与える飼い主がどこかにいることになります。
[ロケ地]アメリカ、オーストラリア
近々「マトリックスレザレクションズ」というのが公開されるようですね。主役のキアヌ・リーブスは大のラーメン好きとして有名です。
私が最近食べたラーメン。「なにわ麺次郎」にて。駅構内のラーメン屋感覚で入ったところ、予想外においしくて調べたら有名店でした。