エジプトへは1993年に旅行していまして、ありがちですが古代エジプトの遺跡群を観たいというのが動機でした。壮大なロマンを胸に抱えて訪れたところ、想定外のことがいろいろとありまして、しつこい商人(超ウンザリ)の印象ばかりが後に残りました。
過去の遺産は素晴らしいのに、現代の人々は向上心に欠けているとしか思えない。当時は「実に嘆かわしいわ!」と感じるところも大きかったのですが、ドン引き体験だけでなく現代歴史における “別の面” にも目を向けましょう、という気持ちになりました。以前観たことのある映画ではありますが改めて視聴、その感想をここに記したいと思います。エジプトとイスラエルをスパイ活動によって和平に導いたという、実話に基づく映画「コードネーム エンジェル」(原題 “The Angel” )です。
アシュラフ・マルワンとエジプトを取り巻く国際情勢
主人公はエジプト政府高官のアシュラフ・マルワン。以下にアシュラフとエジプトを取り巻く国際情勢をざっくりまとめました。アシュラフ関連情報は目立つようにしてあります。
- 1953年、エジプト革命によって共和制へ移行した新政府(ナセル政権)が成立。彼の娘婿にあたるのがアシュラフ・マルワン
- 1967年、第三次中東戦争。短期間でイスラエルが勝利する
- 1970年7月、ロンドンのエジプト大使公邸にて対イスラエルについての会議が開かれる。出席者たちはソ連に仲介役を求める方向で合意を形成していくが、ひとりアシュラフが「味方につけるべきはアメリカ。攻撃を止めさせたい彼らに和平と交換で、ソ連よりも好条件での経済支援を依頼してはどうか」と語り顰蹙を買う。ほかのメンバーは「ソ連による後ろ盾」と「領土の奪還」を重視したからである。アシュラフは「領土と人民、どちらが大事か?」と返す。会合の後、ナセル大統領は「とんだ恥さらしだ。だから結婚に反対したのだ」と娘(アシュラフの妻)に八つ当たり。義理の父が自分を認めていないことをアシュラフは知っている。妻はアシュラフの理解者であろうとする ⇒ イスラエル側に接触したのはアシュラフから。彼のスパイ活動の物語はこの辺りから始まる
- 同年9月、ナセル大統領が52歳の若さで死去。サダト大統領が誕生。当初はナセルが敷いた汎アラブ対イスラエル強硬路線を継承するが「ふさわしい仲介役はソ連か、アメリカか」でサダトは故ナセルの腹心たちと揉める ⇒ “目の上のたんこぶ” ナセルが消えたアシュラフはサダト大統領の信頼を獲得し政界での地歩を固めていく
- (↑↓)この間アシュラフは、エジプト大使館で働く一方、イスラエル(モサド)のスパイとして情報を流し多額のお金を得る ⇒ 彼の『オオカミ少年』作戦は後のエジプトとイスラエルの和平につながる
- 1973年10月6日、サダト大統領はシリアとともにイスラエルに開戦、第四次中東戦争を主導。1974年、アメリカ合衆国との国交を正常化。軍事的経済的援助を受け1976年には外交路線を反ソ・親米へと完全に転換
- 1977年にエジプト・イスラエル間の和平交渉開始。翌1978年にアメリカのカーター大統領の仲介のもとキャンプ・デービッドにて合意。1979年、両国間で平和条約締結
和平に貢献した英雄という視点で映画は制作されている
本映画は対立するイスラエルに情報を提供することで彼らを翻弄し、結果として陰から和平へと導いたエジプト政府高官アシュラフ・マルワンという設定で制作されています。彼は2007年6月、ロンドンの自宅で謎の転落死を遂げているので、当時彼がいかなる意図をもって動いていたのかは分かりません。一説には二重スパイだったとも言われています。後年の転落死の真相も不明。
「多数の人民が命を落とす戦争を止めさせたい」という意向をアシュラフがもっていたことが映画では示唆されます。ロンドンの会合での発言(上記枠内)、モサド捜査官ダニー “アレックス” への「また戦争したいか」「情報を渡すのは善意からだ」という言葉。ロンドンの大学の授業で、第二次世界大戦中「人類のため」という信念に基づき史上最高の二重スパイを行ったガルボの話を興味深そうに聞く姿。
アシュラフが知略や人心操作術に秀でていたことは確かでしょうし、当時のアラブ社会の考え方を旧弊と感じていたこと、多数の人民の命が奪われる戦争の継続に疑問をもっていたことに対する違和感はありません。しかし諜報とは、ある日思い立ってひとりで始められるものでしょうか。自分ひとりで積める経験値には限界があります。何がしかの訓練や、組織との付き合い方の熟知が必要と思いますので二重スパイと考えるほうが自然と思います。外交官の仕事の柱は “広義での諜報” なので、もともと素地・素質、そういった場面に関わる機会もあったのだろうと推測します。
スパイ活動の出発点
1970年当時、アシュラフは妻と息子を帯同してロンドンの大学で学んでいました。大学の友人の誘いで飲酒、ギャンブル、女優ダイアナ・エリスとの火遊びなどに興じています。そんな彼の身辺を義理の父ナセルの部下サミ・シャラフが監視。不品行を理由に一旦はロンドンからエジプトへ帰るよう言われます。妻はアシュラフとの離婚を勧められます。
いちいち横槍を入れてくるナセルに嫌気がさしたのか、ほかの何かを思ったのか、アシュラフはエジプトの敵であるはずのイスラエル大使館に電話をかけて情報提供を申し入れます。しかし指名した大使は不在でした。
感情を軸に見れば、折り合いの悪い妻の父親の鼻を明かすため、自分の考えに基づくやり方で、その正しさを証明しようとした、となります。より理性的に解釈すると、当時の中東において「アメリカの協力を得て和平を」という彼の提案が受けれられないことを痛感していたので、大学を辞めてカイロへ帰るよう言われたことをきっかけに、ほかの道筋を選択したとも考えられます。
モサド情報源としての活動をスタート
再びロンドンへと戻るアシュラフ。以前電話したイスラエル大使館からコンタクトがあり、情報機関モサドの捜査官(カナダ人のダニー“アレックス”)らと接触することになります。
イスラエルが敵対国の政府高官による情報提供を訝しく思うのは当然ですが、新人捜査官ダニー “アレックス” はアシュラフの言葉を信じます。モサドの長官はダニーをロンドンでの監視役に指名。アシュラフにコードネーム “エンジェル” を与えます。情報提供に対し、モサドが高額の謝礼を支払うという関係が始まります。
一方、故ナセル大統領の側近サミ・シャラフはエジプト諜報機関職員と接触、シリア工作員と協力してアシュラフを監視するよう促します。モサドも、アシュラフを折に触れ監視します。
場面がカイロになったり、ロンドンになったり、どちらなのか分かりづらいときがありますが、それは場面の意味や登場人物、背景から察するほかありません(私はそういうのが苦手)。
何度か登場する“オオカミ少年”の話
この映画ではアシュラフが息子に “オオカミ少年” の話を読み聞かせます。声に出して読んでいるとき、今後の対イスラエルについて何がしかのインスピレーションを得たのかもしれません。
“オオカミ少年” にヒントを得た3回の情報提供は後年、彼がエジプトとイスラエルの双方で英雄と見なされることにつながりました。
【情報提供一回目 】⇒ エジプト軍がスエズ運河からイスラエルを攻撃するという情報を流す
- アシュラフが語った作戦内容:塹壕にロシアから入手した対空ミサイルを配置し、上空からは対戦車防衛に見せることで不意打ちにする
- アシュラフの動き:サダト大統領に対し「作戦を今実行に移すのはよくない」と進言
- 結果:イスラエル側は作戦が実行されると信じて準備したが何も起きなかった
アシュラフはロンドンで、激怒したモサドの “アレックス” に責められます(そりゃあ、そうでしょう)。詰め寄る “アレックス” にエジプト側の作戦詳細を手渡します。
【情報提供二回目 】⇒ 大統領との会議でシャズリ将軍から渡された侵攻作戦の詳細を渡す
- 作戦内容:上記の通り
- アシュラフの動き: “アレックス” に資料を手渡した以外は、特に何もせず
- 結果:シャズリ将軍は史上最大の軍事演習を行う。イスラエル軍は兵を引く
その後、アシュラフはロンドンで “アレックス” を除くモサド構成員たちによって拘束されます。捜査官 “エリオット” は「2度もデマをつかませやがって」となじます。
そして1973年10月4日 ロンドンの女優ダイアナを通じて “アレックス” に連絡をとるアシュラフ。明日ロンドンへ行くので責任者と会って話したい旨を伝えます。
【情報提供三回目 】⇒ 10月6日にエジプトとシリアがイスラエルを攻撃することを告げる
- アシュラフが語った作戦内容:明日の午後6時にシリアとともに攻撃を開始する
- アシュラフの動き:長官に「2回デマだった。なぜ信じるべきかを聴きたい」と言われ「信じなければ両国でたくさんの犠牲者が出るからだ」と答える
- 結果: “アレックス” はアシュラフを信じ、長官はエルサレムに電報を打って対応を求める。ヨム・キプールの午後3時(現地時間では午後1時55分)にシリアとエジプト軍が奇襲攻撃を開始。アシュラフの告げた時間より3時間早かった
その後のアシュラフ・マルワン
テレビでエルサレム訪問中のサダト大統領の演説を見ているアシュラフ。「悲しむ母親たち、夫を失った妻たち。兄弟や父を失った子どもたち。戦争の犠牲者たちがこの場に集い、平和を願っているでしょう。多くの心が平和への意志で満たされ、それが現実となり生き続けることを、希望を胸に前に進み努力していくことを願います。平和が訪れますように」という言葉を聴き、涙を堪えることができません。彼は自分と妻、息子の姿を重ねたのではないかと思います。国家安全に関わる機密ゆえに彼は事の次第を家族に明らかにすることができませんでした。
1983年5月のロンドン。アシュラフとダニー “アレックス” が9年ぶりに再会。アシュラフは妻と息子は元気にしているが別居状態にあると語ります。
ふたりは互いに再会を喜び、ダニー “アレックス” は「戦後、審理があった。君や我々の判断について。質問され責任を追及された」と別れ際に言います。アシュラフは「その場にいれば聞いただろう。平和が訪れて幸せかと。そうなら我々は正しかった」と答えます。
残された謎
映画では “オオカミ少年” に倣った作戦をサダトに提案しています。しかし密室で何が語られたかを当事者以外は知り得ません。エジプトがなぜそのような作戦を採ったのかは後日取材・報道されただろうとは思うのですが、視聴後に残された疑問は多いです。モサド捜査官とのやりとりなども映画で描かれている通りだったのでしょうか。
冷静に考えれば金銀財宝や資源などの収奪でもしない限り、戦争なんぞ続けていても国力を徐々に失っていくだけですので、アシュラフはその辺りを現実的に判断できる人だったのでは。「アメリカの支援で和平を」という点についてアラブ諸国の合意を取り付けることなど土台無理。ならば自国が先に立って前例を作ることが早道。経過や姿を見て「こういう路線もありだな」と思えば、追随する国や組織が出てくるかもしれません。人間は反応しかできない生き物なので「エジプトがそう出るならば我々はそれを受けてどうするか」という順序で考えてもらうほかありません。
妻や息子との関係は1983年時点ではよくなかったように描かれていますが、後年偉業を称えられたことで家族の評価も変わったでしょうし、彼が転落死を遂げた際も妻や息子は真相解明を強く求めていたようですから、それなりの家族関係が維持されていたのだろうと推測します。
アシュラフは良家の出身で諜報活動とビジネスで得たお金により超大金持ちだったようです。私がエジプトを訪れた1993年においては貧富の格差が大きいようでした。その辺りは既に解決しているのでしょうか。
最後になりますが、アシュラフ役のマーワン・ケンザリ、ダニー “アレックス” 役のトビー・ケベルの演技がよかったです。アシュラフの妻役も美しく、善き女性を表現していたと思います。
[ロケ地]モロッコ、イギリス、ブルガリア