第二次世界大戦におけるドイツの戦争犯罪を裁く国際軍事裁判としてニュルンベルク裁判があります。日本の極東国際軍事裁判(東京裁判)と並び、二大国際軍事裁判と言われています。
これらは連合国によるものであり、大戦後のドイツにおいては、困難や紆余曲折を経ながらも、公正な裁きを目指してドイツ人自身が司法や行政を動かしてきました。
それに比較すると、日本は戦争(だけではないが)責任の所在を曖昧にしておくことを好むように見えます。「なぜドイツのように事実を整理し、しかるべき人物に責任を取らせることをしないのか/過去の過ちを償わないのか」という問題提起がよくなされます。確かにそういう指摘には一理あるのですが、日本の人々にとっては一局面で白黒を付けないのが自然な姿であり、大局的に見ると、そのような物事の捉え方が間違ったことばかりとは言えないように私は思います。
かと言って日本のあり方が正しいと考えているわけではなく、ドイツのような「事実に基づき罪を認め、代償を引き受けるあり方」は、関わる人たちに多大な痛みと労苦をもたらし、裁くほうも裁かれるほうも相当な覚悟と責任を強いられる “大人の世界” であることを理解しているつもりです。
ふたつの映画のあらすじ
映画「顔のないヒトラーたち」はベースがノンフィクション、一部フィクションが入っています。一方「コリーニ事件」は元弁護士であるフェルディナント・フォン・シーラッハの小説(2011年刊行)を基にした映画(ドイツでは2019年、日本では2020年公開)。あらすじを知りたい方は以下をどうぞ。どちらもAmazonプライムビデオで観られます(本日現在)。
「顔のないヒトラーたち」(原題:Im Labyrinth des Schweigens 日本語訳:沈黙の迷路の中で)※フィクションを交えたノンフィクション
1950年代、ナチスの武装親衛隊員だった男シュルツが、その事実を隠して学校で教師をしていることが、ジャーナリストたちの告発から明らかになる。
その後、ドイツ文部省への告発により教師シュルツは表向きに免職とされたが、実際には、以前と変わることなく教鞭をとっていた。「ナチスは今も生きている」。しかし収容所での駐留経験は法律上罪にならず、戦争犯罪は殺人を除き3年前に時効となっており、公的機関にはナチスの残党が紛れ込んでいた。
若手検事ヨハン・ラドマンはジャーナリストのトーマス・グニルカらと協力し、アウシュヴィッツのユダヤ人収容所で親衛隊員によって行われていた犯罪の調査を行う。検事総長フリッツ・バウアーもヨハンを支援する。
調査対象(容疑者)数は8000人にも上った。ヨハンたちは、アウシュヴィッの生存者一人一人の話を聞き、証言を集めた。親衛隊員たちによる恐ろしい犯罪の数々が明らかになっていく。
ホロコーストに関わった収容所幹部を戦後ドイツ人自身が裁く、1963年のフランクフルト・アウシュビッツ裁判が開廷。この裁判はドイツ史の転換点となった。
「顔のないヒトラーたち」のポイントは、①1963年のフランクフルト・アウシュビッツ裁判まではドイツの中枢にナチスの残党がいて権力をもっていた、②旧ナチスである “力をもつ者たち” への民衆からの忖度もあった、③過去にナチスが行ってきたことについて反省も修正もしたくない人たち/今さら掘り起こしたくない人たちがたくさんいた、ということです。
日本とドイツの戦後処理には大きな違いがあるとよく指摘されますが、ドイツ人たちが大戦後、いきなり自分たちの過去を洗い直し、これからのドイツに対して課題の理解や過去への反省点を反映し、新たな国を作っていこうと思ったわけではありません。過去に向き合うことを迫り、その道筋を作った人たちがいる、という点が重要と考えられます。
「コリーニ事件」(原題:Der Fall Collini) ※フィクションであるがドイツの司法に影響を及ぼした
2001年、事件はベルリンで起きる。30年以上に亘り、ドイツで生活を営んできたイタリア人ファブリツィオ・コリーニが、経済界の大物ハンス・マイヤーを殺害する。被害者ハンス・マイヤーは新米弁護士カスパー・ライネンにとっての恩人であったが、事件の裁判でカスパ―は被告コリーニの国選弁護人に任命される。
被告コリーニは弁護士カスパ―に事件の動機を語ろうとしない。彼曰く「意味がない」からだ。マイヤーの遺族側には、刑事事件における伝説的な弁護士リヒャルト・マッティンガーがつき、カスパ―は圧倒的不利な状況へと追い込まれる。
カスパーは苦しみながらも奮闘する。そして戦下におけるハンス・マイヤーの行為、ドイツ司法の問題点が明らかになっていく。
「コリーニ事件」のポイントは、ドイツ史の大きな方向転換のきっかけとなった1963年のフランクフルト・アウシュビッツ裁判の後、1968年に「秩序違反法に関する施行法(ドレ―アー法)」が採択された、という事実ではないかと思います。旧ナチス側も “1963年を契機としたナチスの徹底排除” という流れに唯々諾々と従っていたわけではないようです。
司法で裁かれることを免れたナチスたち、そして彼らを追う者たち
「顔のないヒトラーたち」は、アウシュヴィッツに駐留した親衛隊員の犯罪を裁く、1963年のフランクフルト・アウシュビッツ裁判開廷までの物語。本作は、実在の検事総長フリッツ・バウアーを始めとした数名の検事たち、そしてグニルカ記者に「捧ぐ」となっています。映画では、ストーリー進行の基軸を主人公の若手検事ヨハンが担いますが、彼は架空の人物と思われます。
アウシュヴィッツへのユダヤ人大量移送と殺害に関わった、元親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンを追い続けたことで有名な検事総長バウアーは、本作中で「事実を揉み消すほうが民主主義に反する」と述べています。「有罪か無罪かだけで、この問題を捉えるなら何も得られない」とし、裁判の法廷に向かうヨハンとハラー、ふたりの検事に「諸君、歴史を塗り替えるぞ」と声をかけます。
かたや映画「コリーニ事件」。新米弁護士カスパ―が弁護するイタリア人コリーニは「罪なき人を殺したのだから有罪である」という結論で審理が一旦終了します。しかし動機を語ろうとしない被告は、本当に「罪なき人を殺した」のか、新米弁護士カスパ―は法律を調査して紐解き直します。再び法廷で審理が行われ、1968年のドイツ連邦議会採択による「秩序違反法に関する施行法(ドレ―アー法)」への問題提起がなされます。同法の成立により、ナチスの関連した残虐な殺人行為は時効となり、訴追できなくなりました。起草者はナチス側に立つドレーアー博士。それは正しい、あるべき姿の法律だったのでしょうか。興味深いのは小説を通じた指摘に対し、2012年1月、ドイツ連邦法務省が「過去再検討委員会」の設置を決定したことです。
- ナチス親衛隊員の罪を洗い直したフランクフルト・アウシュビッツ裁判が1963年
- 「秩序違反法に関する施行法(ドレーアー法)」が1968年5月にボンで可決
- 国家反逆罪に問われる危険を冒しつつもイスラエルに情報提供、アルゼンチンに身を隠していた元親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンをモサドに連れ去らせるという暴挙を選択し、フランクフルト・アウシュビッツ裁判に尽力した検事フリッツ・バウアーが1968年7月1日、浴槽で溺死しているところを発見される(アイヒマン連行へのバウアー関与が知られることになったのは彼の死後)
- バウアーの死の3カ月後にドレーアー法が施行される
検事フリッツ・バウアーについては、映画「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」や「検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男」を観るとよいでしょう。ナチスの犯罪を裁こうとする彼は「ユダヤ」と蔑まれ、脅迫・暴力・嫌がらせの数々を受けました。過去への認識を正して新しい世代にドイツ社会を担ってもらうこと、法が人間を助けることに対する尋常ならぬ執念と信念があったようです。かなりの無理を通してでも道を作ると、後を歩む人たちが現れるということがドイツでは示されました。
波と揺らぎのなかに生きる日本人
では「かなりの無理を通してでも道を作ると」日本でも同じことが起きたでしょうか。それは誰にも分かりません。分かりませんが「その人はすごかったんだね」と感心しつつ、短期間のうちに忘れていくのが日本人という気がしています。
誰かが何か偉業を成し遂げたとて、それに続こうとか、その思いが消えぬように社会に残す活動をしようとかのアクションを起こす人たちが少ないのが日本だと思います。あるとすれば、ただ静かに、自分ではない誰かのしたことを誇りに思い、素晴らしい何かに自己同一視することくらいです。ある程度、何がしかのムーブメントが大きくなったら、その時点で乗っかろう/合流しようと考えている人たちが多いのも日本の特徴です。
そうなる理由はいくつかあります。
- 日本の人は長期に亘って何かに興味を強く持ち続けることが苦手(深く考えない/ムードに流される)
- 良いことが悪いことに転じ、悪い状況も良い状況へと移り変わるという「塞翁が馬」「諸行無常」の観点を潜在的にもっているので、絶対的基準(絶対観)やジャッジの必要性をあまり感じていない
- 都度相対的に物事を選択するという相対観で生きている。物事をジャッジするにあたり定まった基準をもたないので、良い/悪い等の判断が苦手(だから国や他者の良し悪しを論理的に指摘することができないし、あることについて良いと思っているのか、悪いと思っているのか、どう思っているのか、自分でも結論が出せない)
- 言いだしっぺになって先陣を切ることを好まない(周囲の出方や反応を気にする/同調圧力が強い)
ドイツの人たちと比較するならば、日本の人たちは波の上を揺らぎつつ、波のように生きているので、そこにあるのはそのときどきの相対観のみ。集団としても個人としても絶対観をもたないことが、うつろいやすい行いや考えの全あり方に通じていると思います。言い換えれば、その場しのぎの行為・言動・主張になりやすいということです。
何かを変えようと思うのならば、揺るぎなき信念や行動力が必須となり、当時のドイツ社会の一部にはそういう要素があったし、今なおどこかで脈打っていると言えるでしょう。一方、何かを変えたいと強く思っているわけでなく(「状況とは自分たちが変えるものではなく、そのうち自ずと変わるものでしょ?」的な感覚)、今この瞬間の最適解であればよいならば、日本のように社会に対する主張や抵抗はほどほどにして、状況に合わせて乗り切ろうとする人が多くなるのが必然。そして、ある程度大きなムーブメントにまで成長すれば、それがすなわち「今の波」ですから、最適解に見える波に乗っかろう/同調しようとする人たちが多数現れます。
悪いことも良いことに転ずるのだから何をしてもよいということではないものの、波と一体化して生きるということは、仏教思想的と言いますか、極めると深い精神的生き方に繋がると思うのですけれどね(極めていないだけで)。「波との一体化」が付和雷同、日和見主義、強い同調圧力、何も考えない人たち/複雑なことを考えられない人たち/明らかに責任を取るべき状況で責任を取ろうとしない人たち/自分のことを自分で決められない人たちの増加に繋がっているところが、日本の課題であると考えます。
以上が「顔のないヒトラーたち」「コリーニ事件」という映画に対する、国民性という視点からの素朴な感想です。詳しくないので書きませんが、日本とドイツでは、内包する民族的対立の原因や歴史、積み残された課題や地政学的条件が異なります。そういう諸点を鑑みるに、一概には論ぜられないテーマかもしれません。