“貧困の逆は富ではなく正義”-映画「黒い司法 0%からの奇跡」

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実話に基づく映画。原題は “Just Mercy” で “慈悲” という意味と思われます。ノンフィクション「黒い司法 死刑大国アメリカの冤罪」を原作としています。主演はマイケル・B・ジョーダン(以下MBJ)。

すっかり青年を通り越して風格の出てきたMBJ(長い名前は略すことにしました)。メリーランド州ボルチモアを舞台とした「THE WIRE」でバクスデール・ファミリーの手下の少年を演じていた彼も、すっかり大人に成長。映画「フルートベール駅で」の演技なども高く評価され、俳優として大成功しています。彼はキッズモデルがキャリアの出発点で、その後、演技の世界に入ったと記憶しています。

今回取り上げる映画のあらすじは以下の通り。

新米の弁護士ブライアン・スティーブンソン(MBJ)は黒人で、ハーバード・ロースクールを卒業したばかり。アラバマ州へ移り、主に黒人たちからなる死刑囚の冤罪を晴らすことに心血を注ぐ。地元の人権活動家エバ・アンスリーの協力を得て、死刑囚ウォルター・マクミリアンを弁護する。特に黒人である場合、冤罪であることを認めたがらないアメリカの司法の世界。あからさまな人種差別に直面して苦闘・苦悩しつつも、ブライアンは地道に活動を続けていく

映画「黒い司法0%からの奇跡」のあらすじ

この映画は、アメリカ社会に根強く存在し消し去ることの困難な人種差別問題に、司法の世界から取り組み続けた人たちの姿を描いています。

アメリカの社会問題を取り上げた映画のはずなのですが、視聴していて “白人都合をベースとした社会構造” が日本政府、理不尽に差別され続け、異を唱えても司法手続きに訴えても、まるで相手にされない “無力な黒人たち” が私たち日本国民に見えてきました。

アメリカは奴隷社会の成り立ちを、その歴史に明確に含んでいます。一方、日本社会は均一性の高い国民からなっているように見えますが、為政者(あるいは支配者)と傘下の人民との間には潜在的に “奴隷社会” の関係性があるように感じられます。

すなわち、日本人にとっても「黒い司法 0%からの奇跡」は他人事ではない物語だということです。 なお、監督のデスティン・ダニエル・クレットンはハワイ生まれで母親が日系人です。

死刑囚ウォルター・マクミリアンの場合

アラバマ州はアメリカ南部にあり、歴史を遡ると先住民族が多く居住していたエリア。“アラバマ” は彼らの言語に由来する地名と考えられています。

1987年、アラバマ州のモンロー郡で事件が発生。森でパルプ製造の仕事に携わっていたウォルター・マクミリアン(通称:ジョニー・D)は、身に覚えのない殺人事件の犯人として、郡の保安官組織(白人たち)によって逮捕されます。18歳のロンダ(白人女性)の遺体がクリーニング店で発見されたのです。死因は首を絞められての射殺とみられます。

裁判での陪審の評決は有罪で、彼は終身刑を言い渡されましたが、その後ロバート・キー判事(白人)によって死刑判決を下されます。

新米弁護士ブライアン・スティーブンソンの決意

囚人弁護委員会から派遣された学生インターンのブライアン・スティーブンソン(MBJ)は、ジョージア州ジャクソンにある刑務所を訪れていました。死刑囚デイビス(黒人)に、来年いっぱいの死刑執行はないことを伝えるためです。

心を開いた会話をすることで、ブライアンは同い年で共通したカルチャーのなかで育った死刑囚デイビスに親しみを覚えます。実際のところ、このデイビスは澄んだ瞳をした善き青年に見えます。死刑囚であることが似つかわしくありません。

デイビスはブライアンに尋ねます。「ハーバードのロースクールにまで行って、なぜこんなところへ?」と。ブライアンは「人を助けたくて入ったが、いい方法が見つからない。今のところ、これが最高の経験だ」と答えます。

このひとときが彼の2年後の進路を決定づけました。高額の報酬を受け取る弁護士への道を放棄して “いばらの道” を選択します。

そしてデラウェア州サセックス郡の実家を離れ、アラバマ州へと移ります。

受刑者の人権擁護活動家エバ・アンスリー

アラバマ州での弁護士ブライアンの活動をサポートするのがエバ・アンスリー。彼女は白人であり、家庭の妻であり、子どもたちの母でした。

エバは個人的な出来事を通じて、冤罪の死刑囚の力になりたいと考えるようになりました。しかし協力する弁護士はいませんでした。そんなとき、国からの補助金で相談所をスタートしようとしているブライアンと出会います。

ブライアン自身が黒人であること、冤罪が疑われる死刑囚や貧しい人たちのために働く弁護士であることから地域社会の協力が得られにくく、数々の障害がありました。エバはブライアンをサポートし、無報酬で働きます(無報酬は事業が軌道に乗るまでだったと推測します)。

弁護士ブライアンと死刑囚マクミリアンの出会い

新米弁護士のブライアンは、アラバマ州刑務所を訪れます。6人の死刑囚との面会を申し入れますが、弁護士であって犯罪者ではないのに、服をすべて脱いでの身体検査を強いられます。威圧的で侮蔑的な態度をとった刑務官は白人です。

ブライアンは死刑囚たちと面談し、彼らの弁護人がいかに親身でなかったか、助けにならなかったかを思い知ります。捜査はいい加減で証拠は不十分、裁判もおざなりで、犯罪者とされる人たちの人権を軽視していました。

死刑囚マクミリアンも、過去の経緯から “弁護士” を信じていませんでした。ブライアンは再審請求を提案しますが、マクミリアンは受け流します。

面談後マクミリアンは収容されている房に戻り、仲間の囚人たちに対して「空手形ばかりの青二才」と弁護士ブライアンを評します。

刑務所から戻ったブライアンは証言や情報を整理し、動機や証拠がないことから、マクミリアンが冤罪被害者であることを確信します。

投げやりな態度をとっていた死刑囚マクミリアンも、彼やその家族に対し、情熱的で粘り強いサポートを続ける若い弁護士ブライアンを少しずつ信頼するようになり、彼や人権活動家のエバとともに再審請求に向けての闘いをスタートします。

挫折と障害を越えて

マクミリアンを真犯人とする証言に疑念を抱いたブライアンは、新任の地方検事チャップマン(白人)に真相究明に向けた協力を依頼。しかしチャップマンは「地域住民の怒りは大きい。私の仕事は有罪判決を保持することだ」と言います。「私の仕事は依頼人に正義をもたらすことです」と返すブライアン。何についてもこんな感じで、再審請求に対して白人中心の社会から協力を得ることは困難な状況でした。

マクミリアンの無罪を証明できる新証言も得られましたが、証人は偽証罪で逮捕されてしまいます。偽証罪を立証するものはないので罪状は取り消されましたが、今後の社会生活のことを考えて証人は証言を撤回します。ブライアンたちが求める再審請求は繰り返し暗礁に乗り上げます。

情熱をもって活動するブライアンでしたが、救うことのできなかった死刑囚もいました。死刑執行の場にブライアンも立ち会います。彼は無力感に苛まれて苦しみます。

物語は淡々と展開していくが…

主人公の弁護士ブライアンを中心に調査、証拠と証言集めが障害に遭いながらも地道に行われ、物語のトータル3分の2ぐらいは比較的淡々としたトーンの展開が続きます。残りの3分の1辺りからドラマチックな展開を見せます。

ブライアンの粘り強い働きかけにより、法廷での証人たちは新事実を開示しますが、それでも司法は動きません。しかしブライアンたちは諦めませんでした。

その粘り強さには感嘆せざるを得ません。弁護士ブライアン・スティーブンソンについてのWiki(英語版)を閲覧しましたが、驚くべき情熱と献身をもって仕事をしています。“スティーブンソンは生涯独身であり、彼のキャリアは結婚生活と両立しないと述べている” とありました。キャリアと関係なく結婚しない人は多数いますが、ブライアンは自分のすべてをライフワークに捧げる覚悟で生きていることがよく分かります。

“貧困の逆は富ではない。貧困の逆は正義である”

映画の終わりのほうに出てくる、アラバマ州の巡回裁判所でのブライアンの陳述内容が心を打ちます(実際に映画を観てください)。

そして…

貧困の逆は富ではない。貧困の逆は正義です。この国の特質は恵まれた人々を優遇し、貧者や弱い者や死刑囚を冷遇するものです。(中略)もし我々が自分自身を謙虚に見つめれば、正義が必要だと分かるはずです。

1993年4月1日「死刑に関する上院公聴会」にて

アメリカでは死刑囚10人のうち9人が執行、1人は冤罪が認められ釈放と、その過誤率は非常に高いそうです。

私は自分のヘタレ加減を自覚しているので、ブライアンのように自ら試練のなかへ飛び込み、苦境のなかで粘り強く前進していく人物を心から尊敬します。多幸と安楽に恵まれる人ではなく、多難を強いられる人こそが、実は神に選ばれし存在なのでは、と思ったりします。

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