原作「Little Fires Everywhere」を書いたセレステ・イングは香港ルーツのアメリカ人女性。このドラマをどのカテゴリーに分類するか迷いました。Amazonプライムビデオでは「サスペンス」となっていましたので「サスペンス」、そしてアメリカ社会を反映していると感じましたので「ヒューマン/社会派」のふたつにしておきます。
冷静に考えるとけっこう奇想天外なストーリー。通常あり得ない展開でありながら、現実離れして見えないように作られているところが秀逸です。そういう点で私は「デスパレートな妻たち」に近いものを感じました。ただし「リトル・ファイアー〜彼女たちの秘密」に “デス妻” のようなコメディ要素は見当たりません。
あらすじ(あるいは骨子)
8エピソードからなり、起きる事件や出来事が濃いので、もっと長いレンジのストーリーかと思いきや、1997年8月からの数カ月間を描いています。
現代のユートピアを構想して開発された計画都市、クリーブランド郊外のシェイカー・ハイツに住む一見完璧な白人のリチャードソン一家。4人の子どもをもつエレーナ・リチャードソンは、流浪の民のように古い車に荷物を積んで現れたアフリカ系アメリカ人のミア・ウォーレン、その娘パールを不審者と見なして通報します。
ミアはアーティスト。娘と住むところを探していました。アートの題材にしたいところに住み、作品が完成したら次の場所に移動するのが彼女たちの生活スタイル。エレーナはふたりを不審者扱いしたことへの罪悪感、マイノリティのシングルマザーであるミアへの慈善としてリチャードソン家所有の別宅を良心的な条件で貸すことにします。アーティストのミアが副業のアルバイトしていることを知ったエレーナは「ハウスキーパーとして自分の家で働かないか」と持ちかけます。
エレーナにはイエール大学を目指す成績優秀な長女レクシー、長男トリップ、次男ムーディ、何かと親に反抗的な態度をとる次女イジーという4人の子どもがいました。
エレーナはジャーナリスト、夫のビルは弁護士。白人で裕福でした。エレーナには独りよがりなところがあり、勝手に計画や理想を作り上げ、それに家族を従わせる面がありました。
一方、ミアはアフリカ系アメリカ人のアーティスト。シングルマザーで過去にいくつかの秘密を抱えており、それを周囲や娘のパールに明かしていません。
各地を放浪して暮らしていたミアとパールの母娘と関わるようになり、リチャードソン一家のハリボテのような、砂上の楼閣のような家庭&家族関係が揺らぎ始めます。
感想:アメリカ社会の歪みが見えるストーリー
人種差別、格差社会、アメリカ人が好む「いい家族」という体裁、その内情は「仮面家族」。裕福を自認する、教養ある白人たちは良識と良心を代表して社会に関わり、世の中に貢献する存在。そんな “セルフイメージ” に基づいて生き、他者の多様性を受容し、社会のはみ出し者に寛容であろうとします。
しかし根底には「自分たちが完璧ではないこと/何らかを欠損していること」を認めたくない気持ちがあり、他者を見下すことで精神的安定を得て、心の中でほくそ笑んでいます。
ポリティカルコレクトが重んじられる社会では、偽善や欺瞞のあり方もそれに合わせて姿を変えるということに気付かされます。
人種差別の問題
「差別反対」「自分はレイシストではない」と言うのがエレーナの表向きの看板。しかし差別主義者だからこそ、誰に対しても公平で、広く門戸を開いている寛大な自分をアピールする必要が出てくるのです。
エレーナはアフリカ系アメリカ人のミアたちにサポートの手を差し出します。しかし、どこかしら信用していません。「自分の手の平で転がしていられる間はウェルカム」という感じです。
エレーナの娘レクシーのボーイフレンド、ブライアンはアフリカ系アメリカ人です。アメフトのスター選手とチアリーダーという “典型的なアメリカのスクールカースト” の最上位に位置するカップル。レクシーにとって、スター選手のブライアンは彼女の価値を証明するためのツールという面があります。彼と付き合っていても、言葉の端々に「黒人=教養のない人たち」との見下しが垣間見えます。完璧に振る舞っているつもりでも、無意識にいろんなところでボロを出しているのです。
ミアやブライアンなど差別的な眼差しを向けられる側が、そういった細かなところを敏感に感じ取る描写が丁寧になされていると感じました。ミアを演じるケリー・ワシントンの語り口がクールです。
経済格差の問題
中国からの不法移民女性ビビ・チョウは生んだ赤ん坊の親権を巡り、エレーナの友人リンダと裁判で争います。ミアはビビに自分を投影し、彼女を応援します。
そもそも産みの母ビビが「不法移民」という点は問題です。それを一旦脇に置きます。「裕福な人のほうが養育にふさわしい」という価値観が司法の場で示されます。裕福な人は「価値あるものを与えられる」からです。実際のところ、そういう面はあると思います。
お金持ちのアメリカ人は寄付や慈善活動が好き。邪推するつもりはありませんが「裕福は正義である」という設定を信じて生きているフシがあります。裕福でないとできないことがある、それは確かなのですが、エレーナや夫のビルには「貧者を見下すマインド」が見え隠れします。
子どもの虐待問題も多いアメリカ社会。低劣な養育環境しか提供できない親から子どもを引き離すことも、かなりシステマティックに行われている印象です。
母と娘の問題
ざっくり言うと “母と娘” を描いたドラマであると感じました。登場する母たち、裕福な白人のエレーナ、経済的に豊かではない黒人アーティストのミア、貧しいアジア人不法移民のビビは身勝手です。その身勝手さの質は異なっています。
エレーナは自分で書いたシナリオに沿って娘をコントロールしようとします(⇒ 偏見かもしれないが「お金と教養のある自分って素晴らしい!」と思っている/思っていたいアメリカ人に多くいそう)。
それに比較するとミアは娘パールを大切にしているように感じます。しかし抱えている過去を娘に秘密にし続けたことから信頼関係が損なわれます(⇒ アートへの情熱を優先したことが秘密の出発点。子どもを大切に考えながらも、自分の生きがいを捨てることなどありえない)。
アジア人不法移民のシングルマザーのビビには「行き当たりばったりなのでは」「こういう騒動になりそうなことくらい予測できただろう」という面があります(⇒ 個別事情はよくわからないが、計画性なく行動し、結果に文句を言うタイプに見える)。
①社会的ステイタス優先(社会軸)のエレーナ、②自分の生きがい優先(自分軸)のミア、③浮草暮らしのビビ。③はこのドラマの主たるメンバーではないように思いますが、それぞれが “娘に対する自分なりの愛” に向かって殻を破ることになる、というストーリーがきちんと見えてくる作りになっていて、優れたドラマと感じました。楽しめます。
エレーナを演じるリース・ウィザースプーン、ミアを演じるケリー・ワシントンの演技が素晴らしいです。