映画「リベリアの白い血」(原題:Out of My Hand)を観ました。前半の舞台はリベリア、後半のそれはアメリカのニューヨークです。
リベリアのゴム農園で過酷な労働に従事するシスコは、ニューヨークで暮らす従兄弟の “つて” で渡米します。妻と子どもたちのためにも、よりよい稼ぎ、よりよい生活、新しいライフスタイルを手に入れるつもりでした。
リベリアってどんな国?
リベリアは、①アメリカ合衆国の解放黒人奴隷によって建国され1847年に独立、②現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い、③1989年~2003年に断続的な二度にわたる内戦があった、という国です。国名はラテン語のLiber(自由)に由来しています。国名に込められた未来への希望に対し、世界最貧国のひとつに数えられている、という現実があります。
歴史をみると、まずは解放奴隷の子孫による先住民族たちへの差別・弾圧がありました。その状況を軍事クーデターで倒したクラン族出身ドゥによる政権独裁を経て、リビアでゲリラ戦の訓練を受けたテーラー(解放奴隷の子孫)が指揮する国民愛国戦線(NPFL)がクラン族主体のリベリア軍と衝突して内戦が始まります。
経緯からわかるように、リベリアの内戦は民族対立という性質を含んでいます。
新天地を求めるということ
「日本から出て海外で暮らす人には、親との関係に問題を抱えているケースが多い」と聞いたことがあります。そう語ったのは海外生活の長い女性でした。親と心理的に距離を置くだけでは事足りず、物理的にも遠距離の間柄になりたいという願望を叶える手段が “日本脱出” と “海外生活” なのだそうです。
もちろん家族仲のよい海外生活者もいるのでしょうが、①夢を叶えるために家族を含めての日本ヘイトで出ていく人、②日本に存在する問題から離れようとする人(事件を起こした芸能人やお金持ちの子女によくみられる)、③①と②の掛け合わせで体裁を保ちつつ日本からフェイドアウトする人、おおよそ3パターンに分類され、そういった人たちは帰国して日本で生活することを嫌悪するとのことです。
この映画の主人公シスコも新天地を求めます。従兄弟がアメリカで働いている様子から、家族への仕送りと自分の生活費を稼ぐことは大変で、アメリカンドリームなどないことをどこかで感じています。しかし祖国リベリアのゴム農園における過酷な労働で得られる収入には限界があり、労使が対等に交渉できる素地のない社会であることも痛感しています。「多分、ここにいるよりはマシ」という考えでアメリカへ渡ります。ニューヨークでタクシーの運転手になります。
どこであろうとタクシー運転手という職業自体がラクなものではないうえに、かなり以前にニューヨークへ行ったとき、一晩のうちに銃声やパトカーのサイレンの音を数回聞いたことがあるため『眠らない街』を流して客を拾う仕事は、ゴム農園での労働とは別のところで過酷なのではないかと推察します。シスコら移民の運転手は1日16時間働くそうです。
シスコはビジネスで成功した風情のリベリア人を乗せますが、運転手のシスコと乗客では生きる世界が違います。住む国や環境を変えることはできても、最貧国から世界経済の中心地へ移動しただけで経済的成功者になることは不可能です。
新天地というのは「あるようでない」、場所が変わっても貧困という変わらない課題が付いて回る現実が映画を通じて示されます。
断ち切ったつもりの過去も消えない
映画の前半はリベリアのゴム農園や仕事の風景、待遇改善を求めるストライキの光景に割かれているので私たちが目の当たりにするのは農園労働者としてのシスコです。
しかしシスコには別の過去がありました。内戦時に兵士として戦い、蛮行の限りを尽くしていました。シスコと共に戦い、彼の過去の行ないを知っているジェイコブとニューヨークで再会します。今さら掘り起こして明らかにされたくはない過去をネタに絡んでくるジェイコブ。
新天地で新たな自分を生きようとしているにも関わらず、過去や事実は周囲の人々の記憶のなかで生き長らえ、きれいに消し去ることができないという現実にも絶望しかけます。
映画の最後でタイヤをスペアと交換するシスコ。このシーンをどう解釈するかは人それぞれな感じがします。古いタイヤをトランクに収納する姿から「新品のタイヤに履き替えたところで古いタイヤを自分のなかに抱えていることには違いがない。でも新しいタイヤを履いて生きるしかないのだ」というシスコの内なる声を聴いたように私は感じます。絶望と希望の入り混じった暮らしがこれからも続くこと、それが現実であることの示唆ではないでしょうか。
監督・脚本と撮影監督が日本人の作品
「リベリアの白い血」は監督・脚本と撮影監督がニューヨークを活動拠点とする日本人です。彼らがいかなる理由で日本を離れ、アメリカを拠点に選んだのかは知りません。やはり “新天地” を海外に求めたのでしょうか。
撮影監督の村上涼氏はこの映画の制作中にマラリアにより33歳で亡くなりました。監督・脚本は福永壮志氏で、彼の妹の配偶者が村上氏という関係だったようです。
映画のトーン&マナーはドキュメンタリーテイストで、淡々と情景を映し出しているという印象が強いです。
ドラマ「ボクらを見る目」、ドキュメンタリー映画「13th -憲法修正第13条-」の監督を務めたエヴァ・デュヴァネイが本作を高く評価、彼女が指揮する配給会社ARRAYにより全米各地で上映されたとのことです。
エヴァ・デュヴァネイの作品についての記事はコチラ。