実話(1985年のフンタス裁判)を取り上げた映画作品です(原題 “ARGENTINA, 1985” )。1983年に終わりを告げたアルゼンチンの軍事政権。彼らが政権をとっていた7年の間に、反体制派とされる人々を誘拐、尋問、殺害したことについて幹部たちの責任を問う法廷ものです。
第二次大戦の戦勝国が敗戦国を裁いたものとしては、ドイツのニュルンベルク裁判と日本の極東国際軍事裁判(東京裁判)が有名です。またドイツ人がドイツ人の戦争犯罪を洗い出し、公正な裁きをもたらそうとしたものとして、1963年のフランクフルト・アウシュビッツ裁判が歴史に刻まれています。
なんとなくニュルンベルク裁判や、フランクフルト・アウシュビッツ裁判を似た性質を感じるアルゼンチンのフンタス裁判。ちなみにナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンが大戦後、身を隠していたのがアルゼンチン。
私自身は法廷ものが特に好きというわけでなく、法律の世界にも詳しくありません。しかし、このタイプの映画・ドラマを観るにつけ、本来多様性に満ちた人間からなる広大な世界に対し、公正さをもたらすことができるのは “法” くらいしかないのでは、と思います。
支配層による独裁ではもちろんダメ、感情や義理に流されてもダメ、誰かや特定の利益に誘導してもダメ、罰だけでもダメ、赦しのみでもダメ、上手くいかないやり方は星の数ほどありますが、上手くいく “それ” がほとんど存在しないのが実情。
そこに折り合いをつけるのか “法” であり、法曹界関係者がよく口にする “justice(正義)” なのでしょう。
物語はこんな感じで始まる
1983年の選挙で勝利し、アルゼンチンを7年ぶりに民政化したアルフォンシン大統領は、軍政時代の人権侵害を裁こうとしました。しかし軍はゲリラ戦であることを理由に軍事裁判しか認めようとしませんでした。
新政権発足から7カ月経っても進捗が思わしくなく、民事司法の手に渡った場合、裁判は控訴裁判所の管轄となり、フリオ・ストラセラ検察官の職責となります。検索してもヒットしないので「フリオ・ストラセラ」とは恐らく仮名か架空の人物なのでしょう。
この検察官フリオ・ストラセラ(演じているのはリカルド・ダリン)は、いい感じに力が抜けていて、やる気があるのかないのか、ぱっと見で分かりづらい人物。家庭でも生意気盛りの娘ベロニカに近づく男性を諜報機関の人間ではないかと警戒したり、偵察や尾行に息子ハビエルを使ったり、妻シルビアや子どもたちの反応にうろたえたりと、仕事同様に力を振りかざすタイプではなく “ユーモラスで興味を惹かれるおじさん” です。なお余談ですがハビエル役が美少年です(「成長したら普通の人」ということがないよう祈ります)。
フリオ検察官は、軍政時代の人権侵害について担当することには腰が引けていました。民政化したといっても軍と現政権の一部はズブズブの関係で、いろんな点でリスクが多大であったからです。しかし1984年10月2日、検察は控訴裁判所からの書類を受理します。
検察官フリオの“若きサポートチーム”
規模が大きく重要度と難易度の高い事案であるため、検察官フリオにはサポートする人たちが必要でした。しかし過去の人脈を洗い出しても、既に年老いてリタイアしていたり、面倒事にわざわざ関わりたがらなかったり、民事裁判に否定的であったり、軍部と親しいファシストだったりでメンバーに加えることができません。
公判、起訴ともに経験ゼロの副検事ルイス・モレノ・オカンポがフリオの補佐を務めます。若き副検事は軍人の家系から出た人物で、裁判の正当性をアピールするため、共産主義者を疑われる人権弁護士でなく、若い法律家を使うべきという考えをもっていました。
「変人」の異名をとるフリオ検察官はモレノ・オカンポの提案を受け入れ、ベテランではなく検察局や裁判所で働く若者たちをスタッフとして採用することにしました。
軍部は1万5000~3万人という莫大な数の人々を誘拐、尋問、殺害していました。軍事政権の責任追及にあたり、それらの事実を9人の幹部が知っていたことを証明せねばなりません。
彼ら(“ストラセラ・チルドレン”) は若い知恵と行動力を駆使して証言や証拠、情報を収集していきました。709のケースについて800人以上の証言を集め、全16冊、4000ページの資料にまとめあげます。
裁判で赤裸々に語られた人権侵害の状況
1985年4月22日に公判がスタート。軍事政権による人権侵害の実態はどうだったのか、それらを9人の幹部が把握していたのかどうか。国内のみならず海外の組織や機関からの情報提供も得て検察は証明していきます。
公判で語られる人権侵害(拉致、拘束、拷問等)の内容は酷いもので、放送を通じてそれを耳にした人々の反響のすさまじさは言うまでもありません。
一方で脅迫や圧力に屈して証言を辞退しようとする証人もいました。検事たちへの殺害予告もたびたびでした。フリオ検事とモレノ・オカンポ副検事の間には意見の食い違いもありましたが、ふたりは共に闘います。
そして1985年9月18日の論告求刑を迎えます。論告は、フリオが仲間や息子の意見を取り入れて作成したもので、聴く者たちの心に強く深く訴えかける内容でした。
かつて私がチベット旅行でご一緒した弁護士さんは「弁護士にとって重要なのは文章力だ」と言っていました。法廷もののドラマや映画を観るたびに私は深くうなずいています。
“二度と再び(ヌンカ・マス)”
1985年12月8日、判決が下ります。そして判決に不服な「変人」フリオ検事はすぐに上訴を決めます。
映画の最後に編集されている白黒写真は実際の記録写真なのではないかと思っていますが、どうなのでしょうね。そして本作は「完」。その後についてテロップで綴られた内容は雑駁なものでした。
1985年のフンタス裁判でおおよその決着と方向性が見えたような印象を「アルゼンチン1985~歴史を変えた裁判~」からは受けますが、1989年に大統領に就任した正義党(ペロン党)のカルロス・メネムの施政下で “汚い戦争(1976年から1983年にかけてアルゼンチンを統治した軍事政権によって行われた国家テロをそう呼ぶ)” に携わった軍人たちの恩赦が認められています。その後の2005年、アルゼンチン最高裁判所は軍政下の犯罪を不問とする恩赦法に違憲判決を下しました。
フンタス裁判でフリオ検事が殺し文句として使った “二度と再び(ヌンカ・マス)”。その言葉が、過去を乗り越えて確かな礎石となるのには時間がかかりそうです。
本作は “事実に着想を得た物語” なので、フンタス裁判にまつわる細かな出来事や、判決後の展開について詳細の表現・説明があえて省かれていたり、事実と異なる創作の部分があったりすることを含みおいて視聴したほうがよいかもしれません。
良作なので、ご視聴をお勧めいたします。