カトマンズはよいところですが、私はチベット(ラサ、ツェタン)のほうが好きです。チベットのほうが神聖な感じがするんです。チベットにはネパールの前年に行きました。もう15年以上経っていますので、カトマンズもチベットも随分変わっているでしょうね。
さて「選択なき死への道~『エベレスト 3D』」で触れたエベレスト大量遭難事故ですが、早々に断念した人はもちろんのこと、登頂した人のなかにも助かっている人達が何人もいます。
死んでしまった人達はツキがなかった、助かった人達は運が良かった。果たしてそうでしょうか。
AC隊隊長のロブ・ホールは、登頂を果たした顧客と下山を始めましたが、途中から降りられなくなりました(顧客ダグ・ハンセンは、そのプロセスのどこかで姿を消し、死亡したとみられる)。
ロブも死にたくはなかったでしょうが、死の間際まで無線とベースキャンプ経由の衛星電話を通じ、ニュージーランドにいる妻と会話をし、彼女に、生まれてくる予定の女の子の名前を告げています。
私、これって恵まれているんじゃないかと思います(その点については運が良かった)。大事な人と特に会話することなく、ある日死んでしまう人ってたくさんいるじゃないですか。
ロブの死の2カ月後に誕生した娘さんが、友達と談笑しながら歩く姿が映画の終わりに出てきます。どこにでもいるような可愛いティーンエイジャーでした。
彼女は15歳のとき、母とともにキリマンジャロ登頂(標高5895m)。父が乗り移っているんだろうか、生まれ変わりだろうかという感じもありますが、DNAとはいろんな意味で、そういうものです。ちなみにキリマンジャロ最年少登頂記録はインドの7歳の男の子であるらしい(この子も、父親が冒険好きの軍人だそうで)。
七大陸最高峰のうち、キリマンジャロ登頂の難易度はあまり高くないのかもしれません(かといって、私が登頂できるかどうかは、別の話)。
AC隊について言えば、登頂した2人の顧客が下山時に遭難死しています。悲願のエベレストに登頂できたのだから死ぬのはなんてことなかったのか、死ぬことが分かっていれば退却し後年再チャレンジしたかったのか。そのあたりは当事者でないと分かりません。片手に「エベレスト登頂」、もう一方の手に「命の別状なく下山」があるとして、ふたつを一回のチャレンジで手に入れることはできませんでしたが「エベレスト登頂」を掴みとりました。
1996年の大量遭難事故で助かっているガイドのアナトリ・ブクレーエフ、シェルパ頭のロブサン・ザンブーは、その時点のその事実だけをとると運が良かったように見えます。
しかしアナトリ・ブクレーエフはその1年後の1997年冬のアンナプルナで、ロブサン・ザンブーは1年も経たない1996年秋のエベレストで、どちらも雪崩により死んでいます。
生きてさえいれば、自分のストーリーを精神活動が追いかけ続けられるので「命あっての物種」な面はありますが「生きていれば、それでいいのか?」という疑問も残ります。
標高の高い雪山は危険に満ちていて、刻一刻と状況が目まぐるしく変化し、そういった人間の力の不可侵領域に足を踏み入れた後は、何がラッキーで何がアンラッキーなんだかよく分からないと言いますか、ただでさえ、あいまいな人間目線からの基準が揺らぎまくります。
ツキがある、ツキがないというのは、ある程度人間が勝手を知っていて、コントロールできる環境の平常時において通用する、極めて “人間的” かつ “点(局所)的” なモノの見方とも言えます。
巨視的に見るとあまり意味をもたないことに「これは運がいい(ツキがある)」「これは運が悪い(ツキがない)」とラベル貼りをしているのが私達なのかもしれません。