50歳を過ぎてから人生が大きく変わったギリシャの男性のお話。原題は “Raftis” で仕立て屋という意味です。
物語のあらすじ
主人公の名はニコス。36年間、父アタナシオスの仕立て屋『テーラー A・カラリス&息子』で高級スーツを仕立ててきました。しかし時代が変わり、スーツを必要とする紳士たちのニーズも変わり、高級店の並ぶアテネのニキ通り唯一の仕立て屋となり、経営難に陥ります。融資を受けていた銀行に店を差し押さえられ、父親は病床に伏します。
日本もコロナ禍でテレワークが進み、省エネの推進もあり、スーツを着用する機会、オーダーメイドでスーツを仕立てる男性は減っているのではないでしょうか。かつては日本の通りでも仕立て屋を見かけたものですが、現在では探し出すのが大変です。
事態を打開せねばとニコスは移動式店舗(屋台)を作り、それを引いて街中での営業を開始。しかし生地を選んで採寸し、完成までに数週間かかり、対価のかさむオーダースーツは売れません。仕立て屋のスーツを求める人がいるとしても、ロードサイドの露店で食品や日用品購入のついでに注文するようなものでもありません。
露店に立ち寄る人たちには女性も多く、自分たちや子どものための服はないかと尋ねます。婦人服や子ども服は仕立屋の取り扱い対象ではありませんでした。
そんなある日、バルコニーから「ウェディングドレスは作れるの?」と声がかかります。紳士服しか作ったことのないニコスはためらいますが「これはやらない、あれもやらない」では商売にならないので引き受けます。
ドレスを仕立てた経験のないニコス。創作意欲のある隣の奥さんオルガに助けられて試行錯誤します。ニコスを慕うオルガの娘ヴィクトリアも協力します。商品の取扱いは婦人服や子ども服にまで拡大していきます。
望む値付けは受け入れられなかったもののオーダーメイドのウェディングドレスのニーズは高く、ニコスとオルガはお客さんの家、街の路上をアトリエやショーウィンドウにし、鏡やミシンを置いて女性たちの望むドレスを作り出していきます。
はじめは移動式店舗を自らの手で引いていたニコスは、スズキのバイクで店を牽引して仕事をするようになります。
語らない仕立て屋ニコスは何を思っているのか
ニコスは無口です。話すことができないのかな、と思うくらいに言葉を口にしません。しかし必要なことはする人のようでDIYで移動式店舗を作ったり、街に出てオーダースーツを売ろうと試みたりします。仕立て屋として接客しているときは非常に軽快に話します。
彼を慕ってちょっかいを出してくる近所の少女ヴィクトリアを受け入れて交流します。ヴィクトリアの母オルガの手助けを得て婦人ものを作ります。基本的に受身な男です。
オルガの当初の動機は洋裁への関心、クリエイティブな意欲だったと思います。仕事をともにするうちに恋に発展しますが、どちらかというとオルガのほうが積極的であり、ニコスはやはり受身な感じです。
ニコスが何を考えているのか分からない50代男性だったがゆえに、店が経営難に陥ったことで路線変更を強いられ、自らの道を開拓しなくてはならなくなったことは幸いでした。
経営が順調であれば何の疑いももたずに父親の仕立て屋を継ぎ、近所の奥さんに恋をすることもなく、アテネの仕立て屋のひとりとして生涯を終えたのではないでしょうか。
つまり無風で、誰かの何かを踏襲し、それを自分の宝と錯覚した日々を送るだけの人生です。安泰かもしれませんが、どこかしらつまらないあり方です。
無口な男は映画の終わりまで無口なまま。しかし以前よりも楽しそうな横顔です。彼は50歳を過ぎてようやく自分の人生の主(あるじ)になったのです。
タイトルにある「人生の仕立て屋」。恐らくドレスを仕立てることは、お客さんの人生を仕立てることにも通じるという意味なのでしょうが、私には「仕立て屋の人生が仕立てられた物語」と感じられました。
この映画の見どころ
ギリシャ最大の映画祭3冠を達成
テッサロニキ国際映画祭でギリシャ国営放送協会賞、青年審査員賞、国際映画批評家連盟賞を受賞しています。
同映画祭がどの程度のものなのかが分からないことに加え、無口な主人公同様に “わかりやすくもろもろを回収してジ・エンド” という体裁になっていないため、作品の完成度に対する評価は分かれそうですが、とにかく3冠を達成しています(個人的には案外きちんと回収していると思います)。
ほかの映画祭でも、いくつかの賞を受賞。
非常に美しいパーツや構図からなる映画
仕立て屋ニコスは細部にこだわったスーツを着用。彼とオルガが作り出すオブジェのようなウェディングドレスも華やかで美しく、観る者の目を奪います。
登場する老紳士たちのスーツ、ラフな格好をした人たちの服装も洒落ています。
ロケ地はもちろんギリシャですが、アテネ、カミニア、海辺の街ピレウスなど風光明媚なスポットが舞台として選ばれ、青い空、木々の緑や花なども色とりどり。
自然の背景から街の雑踏、細部の小道具まで配色や構図へのこだわりが感じらます。
魅力的な演技陣
隣人の妻オルガ(タミラ・クリエヴァ)の柔らかで母性的な人柄、オルガの娘ヴィクトリア(ダフネ・ミチョポウロウ)の生意気なキュートさも大きな魅力です。主役のニコスは無口であるがゆえに目や表情で語る場面が多くなっています。演じているのはギリシャのベテラン俳優ディミトリス・イメロス。
オルガにはタクシードライバーの夫コスタス(スタティス・スタモウラカトス)がいます。彼の好人物でありつつ、妻とニコスの関係に疑いの眼差しを向ける姿も印象に残ります。
オルガとヴィクトリアはギリシャ語ではない言葉をしばしば話します。映画では明らかにされませんでしたがスラヴ系移民の設定だったのかもしれません。オルガを演じるタミラはロシア生まれのようです。