不可視のルサンチマンが現実を創るー映画「ヘイター」

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少し前(2020年)のポーランド映画。もともとは劇場公開作品でした。しかしコロナパンデミックにより劇場が閉鎖。Netflixで放映されることになりました。

先だって2011年に「ログアウト」(原題:Sala samobójców 日本語に訳すと「自殺の館」)という映画がリリースされており、そちらのスピンオフ作品が「ヘイター」。前作「ログアウト」はポーランドで大ヒット。現在、日本では視聴できません。私も観てはいませんが以下のようなあらすじです。レビューを見ると視聴者を非常にくら~い気持ちに陥れる内容だったようです。

[前作「ログアウト」のあらすじ]

ドミニク・サントルスキーは、裕福で不在がちな両親をもつ繊細なティーンエイジャー。ゲイの傾向があり、その件でSNSで同級生に笑い者にされ、除け者となって不登校に。ひどく落ち込んでいるドミニクは外界に対して壁を作る。そしてネット上で、死と自傷行為に魅了されたシルヴィアという謎の少女と出会い絆を強める。ドミニクは現実世界との関わりがなくっていく。仮想世界への依存が加速する

視聴していないので間違っているかもしれませんが、恐らくドミニク君の裕福で不在がちな母親が「ヘイター」(原題:Sala samobójców. Hejter)に出てくるベアタ。ざっくり調べたところでは両方の作品に出ているのは多分この人だけ。前作と本作をつなぐ存在は彼女であろうと考えられます。

[本作「ヘイター」のあらすじ]

貧乏学生トマシュ・ギエムザは論文盗用のかどで呼び出され、大学法学部からの除籍を余儀なくされる。彼は経済面で援助してくれているクラジュキ家にその事実を伏せる。同家の次女ガービは幼馴染で、トマシュは恋心を抱いていた。彼の事実隠匿はやがて明るみに出ることとなり、恩人夫妻からの信頼を失う。インターンをしていたPR代理店でプレゼンし、トライアルで働く機会を得たトマシュは着実に成果を挙げる。上司ベアタの指示に従い、インターネットを駆使して現実を動かし、クラジュキ夫妻が支援するワルシャワ市長候補パヴェウ・ルドニツキを陥れる仕事に取り掛かる

「ログアウト」を観ていることで「ヘイター」の感想や解釈が変わるのかもしれませんが、観ていないとしてもスピンオフ作品の視聴に問題は生じないと思います。

主人公トマシュを闇落ちさせたもの

トマシュはインターネットやSNSを駆使し、他者にさとられない形で仕事でもプライベートでも人を操ります。それは得意分野を活用することであり本領の発揮でもあったのですが、自身の闇深い欲望に主導権を渡すことにつながりました。そのきっかけになったのは「自尊心を傷つけられた」こと。

田舎の貧しい家庭出身のトマシュ。表向きは体裁よく社交のマナーを踏まえた振る舞いをするクラジュキ一家。小さな頃から知っているトマシュに経済的な支援をしてくれていました(何か経緯がありそうですが明らかにされない)。そんな彼らは家族だけの食卓ではトマシュを田舎者で育ちの悪い貧乏人と小馬鹿にし、笑い者にしています。トマシュは「気の毒な田舎の子」という位置づけにあり、慈善家である彼らに対等とみなされていないことを彼は痛感します。

トマシュは招かれた席でスマホを忘れたフリをして一家の本音を探るのですが、本来の動機は恋心を抱くガービの自分への評価を知るためだったのか、大学を除籍になったことを一家にどう切り出すかを考えるうえでの様子窺いだったのか、よく分かりません。しかし抜かりない彼の性質が垣間見えます。

彼は除籍を隠していた件についてクラジュキ家の信頼を取り戻すこと、対等な関係にある男性としてガービを振り向かせること、社会からひとかどの大人として認められることを目論見ます。

そのこと自体は人間として自然と感じますが、自分の職務(ベアタの指示によりインターネットを活用して特定の人物を陥れること)と “社会や周囲に対する激しい怒り” をリンクさせ、自分の野心達成に向けて手段を選ばないところが普通ではありません。一見 “普通の青年” のトマシュが陰の動力(ルサンチマン)に突き動かされることで、結果としてリアルな世の中が大きく動いていきます。

仮想世界によって創り出されるリアル

偽のアカウントを多数作りSNSへ中傷を投稿する、フェイクニュースの発信や印象操作により思想の対立激化や市民暴動を促すなど。もとはクライアントからの依頼に基づくベアタの指示によるものでしたがトマシュはその分野において有能さを発揮します。

認知、認識、理解のプロセスは脳で行われます。ネットの世界と程度の差こそあれ、人間の認知システムも仮想世界のひとつです。その人の価値観・志向・好き嫌い・解釈のパターンに基づいて情報処理がなされているからです。

生じた出来事はひとつであるにも関わらず、何かが起きたとき、それをどう解釈するか、受け止め方は人それぞれです。それを目撃、体験した人の数だけ受け止め方があるならば、それらはどれも仮想の世界ではないでしょうか。ものごとをありのままに見ることは人間の情報処理システムでは不可能で、何がしかの心がけがあって初めてバイアスをかけずに俯瞰することができます(それでも100%は無理)。

自分の姿形(肉体や個人特定につながる要素)を隠してネット世界の不特定多数の認知や認識をコントロールする手法は、目に見える「どこの誰それ」が肉体を使って行うやり方よりも短時間に多くのことを成し遂げられます。人間の知的労働がAIに取って代わられるのと同じで効率的なのです。

人間の脳が作り出したのがインターネットの世界 ⇒ ネットの世界は人間の脳の仕組みを反映 ⇒ ネット世界からの情報は脳の鋳型(パターン認識)によって解釈される ⇒ 抜け出ることのできないループ ⇒ 人間の情報ネットワークは開放的で無限に見えても閉じている(しかしインターネットを使うことで何かを増幅することは容易)

インターネットやSNSを熟知している人にとって、それらはターボエンジンのようなもの。人それぞれが抱えている善なるものも、外側から見えない闇(ルサンチマン)も増幅して伝播していきます。それはリアルな世界(だと私たちが思っているもの)をも変えていきます。

トマシュも世の中や人間関係に対する恨み・つらみを職務に重ね合わせることで増幅させ、成果を出していきました。恨み・つらみがあったからこそ、意図的に何かをバズらせることが上手だったと私は考えます。

彼がネットやSNSを駆使して行っていたもろもろにより、クラジュキ一家の彼を見る目も変化していきます。人間ってそれくらい単純で愚かな生き物なんだと思います。トマシュはシナリオ通りに運ばなかった場合のプランBも用意していたでしょうが、それって幸せなあり方ですか?

「世界が先か、脳が先か」

脳が先にあって世界が創られ、“リアルとされているもの” も “バーチャルとされているもの” も繋がっている仮想世界。バーチャルを駆使することでリアルを創り、自分が世界だと思っているものを征服していくトマシュ。不可視な部分がリアルを創るのです。前作「ログアウト」については観ていないので何とも言えませんが、本作は視聴後どんよりするほどには暗くないし秀作と感じました。

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