もやもやが残るドキュメンタリー「パーフェクト・ネイバー:正当防衛法はどこへ向かうのか」

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なぜか評価の高いドキュメンタリー映画。冒頭のテロップにあるように「この映画は主に警官のボディカメラの2年にわたる映像で構成されている」ので客観的かつ公正な事実を伝えていると考える視聴者は多いようです。

テキサス州マリオン郡で起きた事件。ボディカメラの記録映像によれば、2022年あたりから近隣トラブルが頻繁に生じています。そして2023年、白人女性スーザン・ロリンツが、子どもの行動を巡ってトラブルとなった母親のアジカ・オーウェンズをドア越しに銃で撃ち、彼女は亡くなります。

そしてタイトルにもある “正当防衛法”。最近は検索して調べようとすると、勝手にAIが回答を出してくれるみたいなので、そこから抜粋&掲載しておきます。赤のアンダーラインを引いたところが、ドキュメンタリー本来のテーマなのだろうと思います。

【アメリカの正当防衛法】

自己防衛のために武力を行使する権利を認めるもので、特に “スタンド・ユア・グラウンド法” と “キャッスル・ドクトリン” が主要な概念。

①スタンド・ユア・グラウンド法

多くの州で採用されている法律。自衛のために武力を行使する前に、その場から退却する義務をなくしたもの。特定の状況下で、致死力を含む武力を行使して自分や他人を守ることが認められる。公共の場や私有地での自己防衛に適用される。

②キャッスル・ドクトリン(城の法理)

自宅などの居住空間において、侵入者に対して武力を行使して身を守る権利を認めるもの。スタンド・ユア・グラウンド法の一種と見なされることもある。コロラド州の「Make My Day」法のように、自宅での防衛を拡大する法律もある。

【適用と解釈】

正当防衛の解釈は州によって異なり、個々のケースで評価される。武力行使の合理性、行使された武力の程度、事件発生場所への法的権利の有無などが考慮される。
被攻撃者が差し迫った危険にあり、その危険を避けるために武力行使が必要であると合理的に確信している場合に正当化される。コロラド州のように、特定の「スタンド・ユア・グラウンド」法がなくても、最高裁判所の解釈により退却義務がないとされている州もある。

【議論と影響】

正当防衛法は論争の対象となっている。フロリダ州では「スタンド・ユア・グラウンド法」制定後に殺人が著しく増加したという研究結果もある。

裁判によって、子どもの母親アジカを射殺したスーザン・ロリンツは有罪となり、私もそれに異を唱えるものではないのですが、スーザンにも同情する面はあります。

  • 彼女は所有者ではないものの賃借人なのであるから、権利のあるエリアについて子どもが許可を得ずに入って遊ぶのは厳密には違法(「まあ、これくらい」と許す気持ちも大切だが「子どもが遊んでいるだけ。何が悪い?」と開き直るのは厚かましい/土地に関する権利関係は作品内であえて明確にしなかった印象もある)
  • 法律に違反していなくても、マナーやモラルの点で問題がある子どもや親はいる(日本なら “道路族” とか。日本の場合は「道路交通法違反/器物損壊罪/住居侵入罪/軽犯罪法違反」に該当する場合あり)
  • 自分のほうがマイノリティとなる、親身になってくれる人のいないエリアで暮らしていた。“多数の子どもをもつ近隣住民のネットワークと声”(仲間意識&かばい合い)のほうがパワーバランスのうえで強いので、対する側としては被害者意識を募らせがちだし、過剰に反応しないと対抗できない面もあっただろう

いっぽうでスーザン・ロリンツには抱えている問題があり、例えば次のような点です。

  • PTSDもしくはパーソナリティ障害を患っていたと考えられる
  • 子どもや有色人種が苦手なら、もっと別の所に住むべきだった(賃貸住宅だったようなので)
  • 常に被害者の立場で物事を解釈する性質
  • 「何かネガティブな体験をしたから」「もともとそうだった」のどちらかは不明ながら、人種差別的な面や発言があった(地域の子どもたちは、彼女を “カレン ⇒ 勝手な行動を咎められたことに対して過剰な反応を示したり、不可解な主張を展開したりする、人種差別的な白人女性の総称” と揶揄していた)

射殺に正当性があったとは思いませんし、スーザン・ロリンツ自身が引き寄せた、彼女自身の問題も事件のベースにはあったと思います。ただし残念ながら、地域の子どもたちが適切に躾けられていたようには見えないし、「昔の大人や親なら厳しく叱ったものだが」という親たちは自分の子どもたちには自由にやらせたいみたいでしたので、スーザンの気持ちもわかるといいますか、複雑な気分になるドキュメンタリーでした。

スーザンを異常な人物と認識していれば、刺激しない/近づかないよう親が言い聞かせるのが一般的なあり方。近隣住民の気持ちのどこかに「あの “カレン”」という小馬鹿にした気持ちがあり、引き際を誤って互いに行動がエスカレート。結果として(メンタルに問題を抱えていて)気持ちのうえで追い込まれたスーザンが発砲したというふうに見えました。

制作者が、被害者一族とつながりのある人物というのも気になる点(「立ち位置が、被害者サイドの人なのね」という前提の解釈が生まれる)。ボディカメラで撮影したものをつなげることは、ひとつの事実を作り出しますが、それもやはり “一面的なストーリー(創作物)” に過ぎないのではと思いました。

“正当防衛法” について問題提起を行うにあたり、なぜこのケースを選んだのでしょう(映像がひと通り揃っていて、社会的ムーブメントの後押しもあったから?)。立場が逆(→ 黒人女性が白人女性を銃殺)だったら、“正当防衛” と認められにくいのだろうとは思いますが。アメリカ社会は “正当防衛” について議論する前に銃規制を行ったほうがよいでしょう。

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