第一次世界大戦のきっかけとなった、1914年にサラエヴォ事件の起きたラティンスキー橋(ラテン橋)へ。
橋や川を含めた景観はもちろん美しいのですが、旧ユーゴスラビア時代の社会主義を感じさせる建物、オーストリア=ハンガリー帝国時代やオスマン帝国の名残りを感じさせる建造物が共存し、街に独特な調和が生み出されていて印象に残りました。
サラエヴォでは建物へのペインティングが流行っているのか、歴史的にも古い建造物の1階部分には大抵何か落書きされています。若者を含め喫煙率が高い印象で、歩きタバコも多いですね。
2枚目の建物は「3ベッドルームの家具付きアパート100㎡」、賃料は月126,700円ほどで借主募集のネット広告が出ていました。


宗教に関してもオスマン帝国がもたらしたイスラム教のモスク、キリスト教会(カトリックや東方正教会)、16世紀半ばに定住し始めたユダヤ人のためのシナゴーク等を網羅しています。為政者や統治者がしばしば変わったので、そんな感じの街になっていったようです。




歴史を遡るとボスニア・ヘルツェゴビナは、ボシュニャク人/セルビア人/クロアチア人、あるいはユダヤ人などが共存する多民族/多宗教/多文化の土地。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争によって民族浄化の動きはあったものの、それまでは(表面的なものであれ)融和的な社会を目指していたのではないでしょうか。今回、私が訪れた国のなかでも最も多様な民族、宗教・文化的背景をもつ人たちの暮らす所。
サラエヴォ事件については、当時オーストリア=ハンガリー帝国の支配に反感を抱く人民が多かったため、皇位継承者とその妻がボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプ(大セルビア主義を掲げる黒手組のメンバー)によって暗殺されたことについて、犯人をヒーローとして擁護する声が大きかったようです。



