墓地になったオリンピック跡地を訪れる

スポンサーリンク

トンネル博物館(MEMORIAL COMPLEX TUNNEL)をあとにし、サラエヴォ市街にある1984年オリンピックの会場跡地(紛争による死者の墓地用地が不足し、会場の一部を墓地として使用することになった場所)へと向かいます。

途中、旧ユーゴスラビア時代の集合住宅、紛争で攻撃を受けて後、そのままになっている廃虚みたいな建物、あるいはいたって普通に見える街並み(スナイパー通り)を眺めました。女性や子どもであっても、動くものはすべて狙撃されるという恐ろしい通りだったようです。

毎日300発以上の爆弾が落ち(最も多かったのは1993年7月22日の37777回!)、1992〜1996年で子どもを含む12000人以上が死亡、50000人が負傷、うち85%が一般市民だったといわれています。

サラエヴォ市街地。隙間を埋めていったような建物の並び方

墓地に作り変えられなかったグラウンドでは少年たち(クラブチームなのかな?)がサッカーをしていました。サッカーは国民にとても人気のあるスポーツだそうです。

日本代表チームの監督だったオシムさんもボスニア・ヘルツェゴビナの人でしたね。

白い墓標がイスラム教徒、グレーはキリスト教徒と聞きました。今は付近も平和な空気感で満たされていました。

旅行は人生の大きな喜び(^^)v
ランキングに参加しています。
応援をお願いいたします。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村