フランスのドラマ「黒い蝶」(原題 “Les Papillons Noirs” )は「ザ・ウォッチャー」同様、視聴していくに伴い、それまでのストーリーや仮説がひっくり返される作品です。不気味さでは「ザ・ウォッチャー」、ストーリーの複雑さでは「黒い蝶」が勝ります。そして「黒い蝶」のほうが、より文学的というか大人向け。
「ザ・ウォッチャー」についてはコチラ(↓)。
予想を裏切られ続けるという意味で面白いドラマ。登場人物に感情移入して視聴すると「人間は、自分に関する “筋書き” を何度も書き替えられることで精神を病む」という理解に至ります。
自分は、どういう親のもとに生まれ、どのように育ち、どんな出来事を通じて、今のアイデンティティを獲得した人間なのか。どんな人にも、それらに対する自分なりの理解、落としどころがある。その理解や落としどころが、自分にまつわる “筋書き” を作り出し、それに則って人生を歩む
人間が自分自身や社会と折り合いをつけて健全に近いメンタルで生きるには、上記がある程度、腑に落ちていなくてはなりません。普段はっきりと意識してはいませんが、人間は、自分自身を定義づけないと生きづらく、社会や環境に適合しにくいものです。自分自身の振れ幅が、ある程度定まっていることで落ち着いて生きられます。
大ざっぱな例で言うと、大人になるまで “育ての親” を “生みの親” と思っていたけれど違っていたとか、死んだ親を “ヒーロー” のように聞かされていたけれど実は “とんでもない犯罪者” だったとか、他者を “幸せ” にしたつもりで “どん底” に突き落していたとか。
自分のバックグラウンドやアイデンティティとして定着した “筋書き” が、大きく揺るがされるような事実を後年突きつけられると、人間は自己存立の危機に陥ります。「今までの自分は何だったのだろうか」「ここにいる自分は本当はどんな存在なのだろう」「これまでの人生に対する自分なりの理解は、すべて間違っていたのだろうか」と。
「黒い蝶」は犯罪ドラマ、サスペンスドラマです。主人公はスランプに陥っている作家アドリアン。依頼を受けて老人アルベールの回顧録を執筆します。アドリアンは老人アルベールを訪問し、時系列の回想を聴きます。その録音を持ち帰って執筆。それを繰り返して作業を進めていきます。
回顧録のためにアルベールが語ることにより、作家アドリアンのこれまでの人生の “筋書き”、彼らに関わる人たちの人生に新たな狂いが生じていきます。
こちらも「ザ・ウォッチャー」同様、ネタバレすると面白さが半減しますので、知っておいたほうがよい登場人物とその周辺情報の紹介に留めます。
老人アルベールの回想にはソランジュも関わる犯罪が含まれており、法的には時効なのかもしれませんが、彼の回顧録に重みと罪深さをもたらします(①)。回顧録執筆が引き金となり、アドリアンは自分の死んだ父親や家系に興味をもち、疎遠だった親戚や関係者に接触しようとします(②)。
①と②が絡み合うことにより、アルベールとアドリアンの人生の展開が想定外のものになっていきます。①には「ナチュラル・ボーン・キラーズ」のテイストが含まれ(実際に視聴して、そのニュアンスに共感いただければ幸いです)、ひとりの老人のダークサイドを知ったアドリアンも、執筆活動や私生活にその影響を受けます。そして引き返すことができなくなります。
1970年代のフランスのカルチャーなども盛り込まれています。
6エピソードからなり、後半でいろんな要素が繋がり始めます。結果としてアドリアンの書いた「黒い蝶」は大成功します。しかし、その代償は大きなものとなります。
「ザ・ウォッチャー」は超常的な力を示唆する部分のあるホラー作品ですが、「黒い蝶」は人間の異常心理を扱っているため、さらに大人向けと言えます。