奇々怪々のドキュメンタリードラマ「バチカン・ガール エマヌエラ・オルランディ失踪事件」【前編】

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ここ数日の間に、このリミテッドシリーズのほかに、「HIGH あるドラッグ運び屋の告白」というドキュメンタリーも視聴しました。

「HIGH あるドラッグ運び屋の告白」はピンときませんでした。若者が観ると勇気づけられるのかもしれませんが、①主人公ミカエラ・マクコラムによる独白が長すぎ(個人的事情過ぎてどうでもよい/いちいち言い訳がましい)、②独白部分が多くを占めるので “制作に手間をかけていない感” があふれ出ている、③エピソード4はやや面白いものの「ミカエラを持ち上げて、ドラマとしてどこに着地させるつもりなのかがよく分からない」という3点により、私の評価は低いです。なお、ミカエラは北アイルランド出身、ドラッグの運び屋として服役していたのはペルーです。

美人でモデル体型のミカエラのパートナーあるいは支援者がドラマの制作者側にいたんじゃないかと推測します。彼女のプロモーションドラマにしか見えません。しかし誰かの役に立つのかもしれません。ドキュメンタリーではなく普通のドラマとして制作したほうが面白い内容になったと思います。

長い余談から入ってすみません。本題はここからです。

「エマヌエラ・オルランディ失踪事件」(原題 “Vatican Girl: The Disappearance of Emanuela Orlandi” )の舞台であるローマとバチカン市国は、数日という短期間ですが滞在したことがあります。ちょうどクリスマスの時期でバチカンは荘厳な雰囲気に包まれていました。アリタリア航空の機内食の量がとても少なかったことが印象に残っています。「日本人は文句を言わないので、日本との間の便は食事が少ないのです」とCAが説明していました。

少女失踪事件の経緯(1983年6月22日~7月2日)

15歳のバチカン市民、エマヌエラが失踪します。その件について教皇ヨハネ・パウロ2世が言及するまでに起きたことをまとめると以下の通り。

【教皇が『エマヌエラ失踪事件』について言及するまで】

要約:バチカン市国に住み、ローマの音楽学校に通うエマヌエラが失踪する。エイボンの販売員男性が関与している、という情報が寄せられる

  • 1983年6月22日、バチカン市国に住みローマの音楽学校に通うエマヌエラ・オルランディ(15歳)が失踪。家に彼女から電話があり「学校を出たら男性に声をかけれらた。男性はエイボンの販売員で仕事をもちかけられた。化粧品のチラシを配ることになった」と姉に話す
  • 妹と友人は19時にエマヌエラと待ち合わせていたが30分過ぎても現れなかった。21時半となりオルランディ一家は手分けしてエマヌエラを探し始める
  • バチカン市国はイタリアのなかにあるもうひとつの国のようなもので聖職者以外の住民はわずか100人。塀で囲まれており午前0時に門が閉まる

<豆知識> エマヌエラが失踪した日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は祖国ポーランドを訪れていた。オルランディ家は7代にわたって教皇に仕えてきた家系である

  • 失踪翌朝、家族は警察に捜索願を提出。翌々日に新聞に情報を求める記事を掲載
  • ピエルルイジを名乗る男から「カンポ・デイ・フィオーリでフルートをバッグに入れた女の子がエイボンの商品を売っていた」、マリオを名乗る男から「ある男が家に2人の少女を住まわせている。その子たちと服や香水を売っている。『学校の演奏会で歌うはずだった』と悔やんでいた」という内容の電話が自宅にかかってくる

少女失踪事件の経緯(1983年7月3日~12月)

7月3日の日曜日恒例の祝福の場で、教皇が『エマヌエラ失踪事件』に言及して以降に起きたことは以下の通り。

【教皇が『エマヌエラ失踪事件』について言及してから】

要約:バチカン、“アメリカ人”、“灰色のオオカミ”、ブルガリア人、KGBの事件関与が疑われる

  • 1983年7月3日、ポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世が『エマヌエラ失踪事件』について言及 ⇒ この発言が「犯人を知っていて呼び掛けているようだ」との憶測を呼ぶ
  • その2日後、アメリカ訛りのある男(“アメリカ人”)から電話。「バチカン広報省と通じている。マリオとピエルルイジは自分の仲間。お宅の女の子は無事だ。最終期限は7月20日に定められた」と告げ、録音テープを流す。そしてメフメト・アリ・アジャ(1981年に教皇を狙撃し暗殺未遂事件を起こしたトルコ人/ “灰色のオオカミ” やKGB等とのつながりあり)の釈放を当局に要求 ⇒ 家族に対して犯人が要求をするのは教皇がスピーチをして以降のこと

<豆知識> 教皇狙撃と「1917年5月13日(ファティマの予言)」との関連が示唆されている。3人の子どもが聖母から受け取った預言では「教皇は殺されるだろう。カトリックの信仰をロシア帝国が取り戻さないなら」とある。教皇はロシアの信仰を取り戻そうと考えた(と本作で記者が述べている)

  • 誘拐犯が「指示を出した」と家族に電話。イタリアの通信社ANSAに「パルラメント広場のゴミ箱を見ろ」と連絡。エマヌエラの学生証などが入った小包を発見
  • ANSAに “アメリカ人” から電話。「別の証拠をダダリア通りのゴミ箱に入れてある」。小包にはカセットテープがあった
  • 最終期限の7月20日、“アメリカ人” から電話あり。少女の無事を伝えるとともに要求に応じるようローマの教会に言う ⇒ 電話を受けたローマの神父は何のことやら “青天の霹靂”
  • 秘密情報部による監視のためオルランディ家への電話は弁護士事務所に転送されるように。12月14日が “アメリカ人” からの最後の電話
  • 12月24日、教皇がオルランディ家を訪問する旨の連絡。後日、教皇が訪問。「出来る限りのことをしている」「失踪事件は国際テロリズム」と回答

後編は1993年以降の展開、関与が疑われる人物や組織、本作に対する考察です。

奇々怪々のドキュメンタリードラマ「バチカン・ガール エマヌエラ・オルランディ失踪事件」【後編】
【後編】は1993年以降の展開、関与が疑われる人物や組織、本作の提示する推理です。
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