「ベター・コール・ソウル」の魅力のひとつは、進行に伴う “不思議なまったり感” 。ストーリー進行がのんびりしているように感じられるのはなぜでしょう。
細分化された場面ごとの描写が具体的だからではないかと思います。具体的であるがゆえに、シーンから何を伝えようとしているのかが分かりづらい面もありますが、それが全体に通底する “ゆったりとしたリズム“ を作っていて、オールドアメリカンなムード作りにも貢献しています(大昔の物語ではありませんけれどね)。
エピソード6(目には目を)
少女時代のキムが店でアクセサリーを万引きして捕まり、母親が事務室へ呼び出されるところから話が始まります。対応する店のマネージャーや、放免された娘キムとのやりとりを見ていると、キムの母はジミー(ソウル)と似た本質をもっていることが分かります。
真面目なはずのキムが、どうして詐欺師気質のジミーに惹かれるのか、彼を愛し続けることができるのか、このドラマを観る者が誰しも一度は抱く疑問ではないでしょうか。
私の考えを述べます。ひとつには自分の母親と似たタイプ(正直者を馬鹿にし、自分の利益になるならば一芝居打って悪事を働くことも平気という、人生の基本姿勢)なので、人生初期に馴染んだ価値観として違和感を感じることが少ない、ということが考えられます。もうひとつは、そんな母親にネグレクト気味で育てられているので、同じタイプの人間(ジミー)から愛されると、母親から得られなかった愛をも同時に感じることができる、というものです。さらに、そんな育ちであるがゆえにキムはアダルトチルドレンであり、母親の面倒や不始末に子どもの頃から対処してきたのと同じ感覚で、ジミーのそれらに対処している、ということです。
このシーンの車のナンバープレートから、キム母子は当時ネブラスカ州にいたことが分かります。そう言えば、ジーン(シナボン店長)になったソウルのいるオマハもネブラスカ州ですね。
HHMの弁護士ハワード・ハムリンの朝が描かれます。妻(初登場)と上手く行っていないのは事実のようです。再構築を目指すくらいだったら別れたほうがいいのでは。根本的なところで価値観が大きく違っている感じがします。
ソウル(ジミー)とキムはアンダーグラウンドな副業をもつ獣医のところへ。彼の黒い手帳には “ベスト・クオリティ掃除機” への連絡先もあり、そのつてを辿って、後のソウルが姿をくらましたと推察されます。
「ブレイキング・バッド」において、ソウルの弁護士事務所受付のフランチェスカが、なぜああも不愛想で機嫌が悪いのか、これも誰しも一度は抱く疑問ではないでしょうか。
フランチェスカは、キムのことは大好き。キムとソウルとでは対応の仕方がまるで異なります。ソウルの顧客層(犯罪者やマナーのなっていない者、清潔感に欠ける者ばかり)、彼らの罪を軽いものへと導くソウルのビジネススタイルへの抵抗感が強いようです(でも退職しない。給料がいいのかな)。フランチェスカも、ソウルによるサンドパイパー(老人施設)絡みの企ての片棒を担ぐことに。ある種の共犯関係となったわけであるし、それもあってソウルの事務所から退職できない状況に陥ったのかもしれません。
キムにビジネス上の大チャンスがやってきます。彼女は会合に出席するため、サンタフェへと向かいます。その日はソウルとキムが練ってきた企てを決行する日でもありました。祝杯の準備でしょうか、かつて投資家ケンを騙したときに飲んだ “ZAFIRO Añejo” をソウルは買いに行き、ある事を知って気が動転。作戦の仕切り直しが必要になったことをキムに電話します。
ラロは工場建設に関わったドイツ人技師を山小屋で襲い、ガスが何を造っているのかを探ります。マイクはガスのクリーニング工場で、警備や監視についてガスの手下と意見交換します。