おじいさんと若い女の子だから成立するイイ話-映画「ぶあいそうな手紙」

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イイ話系の映画です。5段階総合評価だったら「4 よかった」をつけます。このお話が見事に結実したのは、組み合わせが「おじいさん×若い女性」だったからかなと。「おじいさん×若い男性」「おばあさん×若い女性」「おばあさん×若い男性」では上手く仕上がらなかったと思います。

おじいさんが若い女の子に期待してしまう何か、若い女の子がおじいさんに期待してしまう何か、どこかしらステレオタイプで打算ベースの出発点を、ひたすらにイイ話にまとめ上げてしまっている点が「-1」。

…と書くと、あまり好意的でない印象をもつかもしれませんが、時間があれば視聴をお勧めします。決まりきった日常に、ある種の希望の光が差し込みます。特に年配の方、年配の親をもつ方向けと思います。原題は “Aos Olhos de Ernesto (Through Ernesto’s Eyes)”。

あらすじ
  • ブラジル南部、ポルトアレグレの街で暮らすエルネストは78歳の独居老人。妻とは死別。現在では、ほとんど目が見えない。ときどきハウスキーパーがやってきて家事を行っている。彼の息子は父にこれ以上の独居は無理と判断、サンパウロへ移らせようと考えているが、エルネストは乗り気でない
  • 同じアパートに住む人物の姪で、代わりに犬の世話をしているという若い女性ビアと知り合う。彼の目がよく見えないのをいいことに、彼の部屋からお金をくすねたり、物を持ち出したりする。エルネストは、彼女のしていることを知っている
  • エルネストに手紙が届く。差出人はウルグアイ時代の友人オラシオの妻ルシア。目がほとんど見えないエルネストは、ビアに手紙を読んでくれるよう頼む。同い年のオラシオが亡くなったこと、彼女の余生も長くないであろうこと、そして手紙をくれるようにと書いてあった。ルシアとはエルネストが15歳のときからの知り合いで、互いに好意をもっていた
  • 品行方正でないビアとの交流を楽しみ、食事を振る舞ったり、寝泊まりする部屋を提供したりするエルネスト。ビアは少しずつ、エルネストに不誠実なことをしなくなっていく
  • ビアには知的な面があり、心を開いて交流するふたりは善き友人となる。ほぼ終わりかけだったエルネストの人生に刺激を与え、彼の選択や行動を変えていく

死んだ友人の妻ルシアへの手紙は、ビアの意見やアドバイスに基づいて表現が修正されました。彼女が言うにはエルネストの口述の内容は「不愛想で気持ちが伝わらない」。そしてタイプライターが苦手なビアにより、手書きにされてしまいました。

孫へのビデオレターも同様です。「季節の挨拶は要らないから、気持ちを伝えて」とビアに言われます。

私には、ふたりがこう見えました。

エルネスト(おじいさん):

「変な女の子だが、もっと知りたい」⇒「スペイン語の読み書きができるので、友人の妻ルシアとの文通を手伝ってもらえそう」⇒「お金やモノを盗んでいるようだが、相手をしてくれる駄賃と考えればいいだろう」⇒「親しくなれば悪い子じゃないし、人生に困難を抱えているようなので助けになりたい」⇒「若い女の子の発想・振る舞い・思いやりは、自分が若かった頃や、今の自分に欠けているものを思い出させてくれた」(自分の残りの人生に可能性を見出す)

ビア(品行方正でない女の子):

「このおじいさんは目がほとんど見えないから、鍵をもって帰って隙を見て侵入して、いろいろ盗もう」⇒「妙に信頼されて、手紙の代筆とかを頼まれるようになってしまった」⇒「お金をくすねるにはチョロい相手だけれど、食事を振る舞ってくれたり、アルバイト料を払ってくれたり、大切にしてくれる」⇒「いい人なのかも。私を善人として扱ってくれる。この人に悪さをするのは止めにしよう」⇒「おじいさんの役に立とう」⇒「おじいさんの幸せを精一杯応援しよう」(自分のなかに良心を見出す)

先に「組み合わせが『おじいさん×若い男性』『おばあさん×若い女性』『おばあさん×若い男性』では成立しにくい」と書きました。この映画は、若い女の子の無謀な生命力によって、エルネストの男性としての本能が刺激された物語とも言えます。

老いたエルネストが若きビアに投影したのは、若かった頃に恋した女性たちなのか、娘・孫のような存在なのかは別にして “若い女性” が男性の奥深い何かを揺り動かした物語。だから「おじいさん×若い男性」ではダメなのです(とりあえずLGBTQ視点は外しています)。相手が若い男性だったら、エルネストがここまで温かく親切にしたかどうかも疑問です。

同様の理由で「おばあさん×若い女性」も今ひとつ。ひょっとしたら「おばあさん×若い男性」はアリかもしれません。とは言っても、ビアは手紙の代筆にあたり、女心や家族が求めているものについてエルネストを諭しますが、反対の状況(男心や家族の気持ちをおばあさんに説く若い男性)は想像しにくいです。「おじいさん×若い女性」のほうがあり得ると思います。

もちろん「おじいさん×おばあさん」という組み合わせはアリで、エルネストはビアとの出会いを通じて、78歳にして長年の知り合いであるルシア(未亡人)と残された人生を過ごす決断をし、実際にアクションを起こします。目がほとんど見えない独居老人で、日々生き永らえてはいるものの、新しい冒険もチャレンジもなく、干からびて乾物(比喩です)に近づいていくエルネスト。彼ひとりで遠方のルシアの気持ちを推し量って行動を起こすことは困難。そんな彼に活力を与え、背中を押したのがビアでした。

寝泊まりする場所がなかったビアに、エルネストは息子の部屋を提供していました。あることをきっかけに、彼女は出ていくと言います。最後にビアは、正直で詩的で愛情のこもったエルネストの口述を代筆します。ビアに励まされ、彼はルシアの元へと旅立ちます。

日頃あまり耳にしないラテンの挿入曲がとても素敵です。

「おじいさん×若い女性」のことばかりを書いてきましたが、“前途を諦めた、そこそこの生き方” を止め、人生の最後に成就する大人の恋の物語。恋でも恋でなくてもよいでしょう。共に過ごすべき人がいる人には、78歳であっても、そういう計らいが用意されています。長い間会うことがなかったエルネストとルシアが何の違和感もなく再会し、自然な流れで互いの人生を合流させていくエンディングに私もジーンときました。

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