私が視聴したのはディレクターズカット版(170分)。アメリカの学生がスウェーデンへ行くストーリーで、アメリカのシーンはほとんどありません。インディーズ映画です(原題 “Midsommar” )。
あらすじ(ネタバレなし)
ある日、両親と妹を失う女子大生ダニー。妹(双極性障害)の件で頻繁に頼ってくるダニーが面倒で重い存在だったので、恋人のクリスチャンは以前から別れたいと思っていました。しかし、言い出せませんでした。
6月半ばに男の友人たちと、スウェーデンのヘルシングランドにあるホルガ村の夏至祭を訪れることを検討していた恋人クリスチャン。何かと面倒な反応をするダニーに「一緒に行こう」と言ってしまい、彼女も同行することに。そもそもの目的は大学の友人ジョシュが文化人類学の院試論文に必要なフィールドワークを行うこと。その村は留学生ペレの故郷で、クリスチャンとマークは観光目的で同行するつもりでした。夏至祭は9日間にわたる大饗宴で、小さなコミューンで行われるようです。
恋人のクリスチャンやマークは “厄介な女ダニー” の同行を疎ましく思っていますが、留学生ペレはダニー同様に両親を亡くしていて彼女にシンパシーを感じており、彼女が故郷の夏至祭にやってくることを心待ちにしている雰囲気を漂わせます(←ここ伏線)。
ストックホルムからヘルシングランドまで車で4時間。そこでクリスチャンたち(アメリカから来た学生たち)は、ペレの兄弟のような存在イングマールや彼のロンドンの友人サイモン&コニーと合流。彼らはドラッグで幻覚を体験します。その後ホルガ村へと移動。白装束に不思議な音楽、見た目の清潔感と奇妙な平和はあるものの “カルト臭” たっぷりです。
この共同体では18歳までの子どもは “春”。18~35歳は巡礼の旅をする “夏”。36~53歳は労働の年齢で “秋”。54~71歳は人々の師となり、72歳以降は死を迎えるように設計されていました。
村の若い娘マヤは、ダニーの恋人クリスチャンに秋波を送ったり、脇腹を軽く蹴ったりして気を引きます(←ここ伏線)。
90年ぶりの大祝祭とのことで儀式のてんこ盛り。奇妙な詠唱・言葉・舞踏・絵画、ルーン文字(ゲルマン人がゲルマン諸語の表記に用いた古い文字体系)を使った象徴、魔術に基づく飲食物、決して消えることのない火…(このあたりは実際に観て確認してください)。
この夏至祭、外部の者からしたら不可解な奇習でしかなく、アメリカから来た4人、ロンドンから来た2人には耐えがたい内容でした。しかし、その残酷で理不尽な祭りに6人が呼び寄せられたのにはワケがありました(このあたりも実際に観て確認してください)。
なぜか「山海塾」を思い出す(深読みなし)
恐らく数字、形象、色、言葉、儀式に象徴やメタファーを散りばめた作品なのだろうと思います(そういう祭りが実在するのではなく、実在の各地の夏至祭や北欧の文化から、いろんな要素を寄せ集めたのでは)。深読み視点から本作をご覧になりたい方は、そういうまとめブログもありますので検索して閲覧を。
私自身は、深読みすることなく視聴しました(考え出せばキリがないので)。そしてなぜか、ダンスカンパニー「山海塾」を思い出しました。“スキンヘッド&ほぼ裸体&白塗り” の、あの人たちです。知らない方は画像検索してください。その世界観がなんとなく分かることでしょう。
「山海塾」の公演は1回だけ観たことがありますが、まるで詳しくありません。詳しくないどころか理解以前の段階にいます。にも関わらず、なぜ思い出したのでしょう。何か共通点があるのでしょうか。
“生” とは美しい側面が強調され、人々が直視したがるのも、自分の都合で切り取った一部です。しかし本来 “生” はグロテスクなものでもあり、人間はそのグロテスクな側面に気付いていません。あるいは無意識のうちに目をそらします。観る人が観れば二極が絶えず共存していることが分かるのですが、多くの人々にはそのような慧眼がありません。
この映画には “ルビン” という意図的な近親交配から生み出された、生まれつきの障碍者が出てきます。「彼の心には一般的な認知による曇りがない。先入観なしに “根源” を見つめる」と説明されています。彼は “賢者” ですが、障碍者であり、醜い外見をしています。
後付けにはなりますが、映画で語られたこの部分が「山海塾」を連想した理由のひとつになるかもしれません。正常ではないもの、美しくないものを極めることが “超越” であり “根源” につながる道なのです。この文章を書くにあたり調べてはいませんが、障碍者が “賢者” や “聖者” とされる事象や習わしは、世界各地の文化で確認されているはずです(以前「文化人類学」の本で何度か、そのような記述を見かけたことがある)。正反対の二極の要素を統合する機会のひとつが夏至祭で、その考え方に基づいてコミューンが営まれている、それをホラーとした描いたのが「ミッド サマー」なのでは、と思います。
二極の統合の領域はコミュニティの機能から消え、今では芸術が担うことが多いと推察します。ホルガ村の夏至祭のような世界観を、今なお頭から信じて実践しているのも「どこかおかしい」ですけれどね。しかし、そういうのを呪術的と言うのでしょうし、この映画で生き残った人物(観てのお楽しみ)は何かを超えられたようです。本質的な部分を今に継承し、良し悪しという個人的な価値観の枠組みを超えさせるのが “カルト的な自己啓発セミナー” なのかなあと思います。
長尺ですが、面白い映画なので私はお勧めします。エロ・グロがそれなりにありますので、家族での視聴、お茶の間視聴には不向きです。
出演俳優について
ダニーの恋人クリスチャン役がジャック・レイナー。映画「シング・ストリート 未来へのうた」で、主人公コナ―の兄ブレンダンを演じた人です。役柄の印象は、かなり異なります。「ミッド サマー」のクリスチャンは、恋人ダニーに対して態度を決め切れない、目先の欲望に流される小ずるいところのある男です。俳優ジャック・レイナーは映画「ビリーブ 未来への大逆転」に司法省の若手弁護士役で出演していましたが、個人的には印象に薄いです。
本作では、ホルガ村からの留学生ペレも重要な登場人物です。演じたヴィルヘルム・ブロングレンはスウェーデンの俳優で、舞台経験が豊富なようです。
ダニー役のフローレンス・ピューを本作まで知りませんでしたが、トラウマを抱えた依存的な女子大生を好演していたと思います。
付け加えるとしたら、崖から飛び降りる儀式アッテストゥパンで昇天した老人ダン役のビョルン・アンドレセンでしょうか。映画「ベニスに死す」(1971年)で超美形少年だった彼です。これを書いている時点で67歳のようですが、髪型やメイクのせいか、もっとお爺さんに見えます。白人って歳を取ると大きく変わりますね。
おまけ:アリ・アスター監督「ヘレディタリー/継承」について
「ミッド サマー」監督のアリ・アスターは、映画「ヘレディタリー/継承」の監督でもあります。「ヘレディタリー/継承」のほうが先の作品です。
「ヘレディタリー/継承」は「ミッド サマー」同様に、リネージ(伝統/血統)と再生を描いています。非常に怖いホラー映画と言われていますが、そんなことはありません。
なぜなら、何かが憑依した人間が “無差別に誰かを襲う” ことのない物語だからです。映画は “何らかの伝統の継承” と “存在としての再生” を描いているに過ぎず、 それらと関係のない人のところに同様の現象が起きたり、アニーやチャーリーがやってきたりすることはあり得ません。映画を観て理解すれば分かります。真夜中に観ても大丈夫だと思いますけれどね。
「ヘレディタリー/継承」について、もっと何か書こうかと思いはしましたが、“「ミッド サマー」の大衆版” と一言で表現できるので、それで終わりにしておきます。「ミッド サマー」のほうが深みと広がりがあって面白いと思います。
[ロケ地]ハンガリー、アメリカ