救いはないが太陽はある。台湾映画「ひとつの太陽」

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台湾の映画を観るのは「非情城市」以来。なんとなく惹かれるものがあったので「ひとつの太陽」(原題:「陽光普照」)を視聴してみました。第56回金馬奨で作品賞など5冠に輝いたそうです。

[あらすじ]

自動車教習所教官の父アーウェン・チェン。ナイトクラブの楽屋でヘアスタイリストを務める母。医大予備校生で好青年の兄アーハオ。そんな家庭の問題児アーフー。彼を虐めた男オレンの腕を仲間のツァイトウがナタで落とし、吹っ飛んだ腕が中華レストランの鍋で煮えるところから物語がスタート。

父は教官の職務に忠実であり、息子たちに厳格。成績優秀な「よい子」の長男のみを息子と認めていて、何かと問題を起こす次男は意識から排除しています。母はよく言えば “とりあえず受け入れる人”。悪く言えば “態度の曖昧な人”。状況に流されて生きているように見えます。

オレンのところへ押しかける原因を作ったアーフーは少年院へ。オレンの腕を切り落としたツァイトウも別の少年院へ。アーフーが不在となったチェン家に、彼の子を身ごもった中学3年生のシャンユーが現れます。

兄のアーハオは予備校で2浪の女の子シャオゼンと出会い、ほのかな恋へと発展。優秀で好青年に見える彼もまた苦悩を抱えており、彼女に司馬光の「水がめの話」をします。司馬光が割った水がめのなかにいた子どもは、ほかならぬ司馬光だったという話です。そしてチェン家にとっての太陽だったはずの兄アーハオはある日、自らの命を絶ちます。

1年半で少年院から社会復帰する弟アーフー。幼妻シャンユーや息子を養うために洗車場やコンビニエンスストアで働きます。その後、腕を切り落としたツァイトウ、切り落とされたオレンと再会することになります。

太陽の光が苦痛な兄と日陰しか知らない弟

社会復帰の後、更生しようとするアーフー。妻子のためにダブルワークで働きます。しかし3年後、彼の前にツァイトウが現れ、昔の件をネタに彼の手先として非合法なことをアーフーに強いて足を引っ張り始めます。ツァイトウのつきまといっぷり、ウザさ加減が絶妙で、アーフーの絶望感を疑似体験できます。

「育てた親の責任と言えなくもないから仕方ない」のですが、次男アーフーのしでかしたことの余波、次男が少年院にいる間に自死した長男アーハオへの自責を背負うことになる両親。前者については「終わりが見えない」し、後者については両親を含めた誰にも明確な原因や理由がわからなかったのではないでしょうか。

母は長男アーハオの葬式で、ガールフレンドのシャオゼンから、死の数日前の彼との会話を知らされます。「この世で一番公平なのは太陽だ」と語って笑ったそうです。日陰に入って自らを労わることができず、家族のために陽の当たる場所に居続けなければならない、それが今後ずっと続いていくことにアーハオは絶望したのかもしれません。

一方、優秀でカッコよく、みんなに愛されていた兄に小さな頃から引け目を感じていた弟のアーフーは社会のレールから外れていきました。

陽の当たる者だったがゆえに自殺を選んだ長男、日陰者であったがゆえに社会からドロップアウトした次男。ほどよい陽の当たり方 ⇒ すなわち周囲に認められ、自分を愛することができること。そして、ほどよい日陰の確保 ⇒ 休息や隠遁の場があること。それらのバランスを欠くと人は自分を不幸と感じる。そんなことが伝わってきます。

降り注ぐ太陽の光は、誰にもある「隠しておきたい自分だけのスペース」を白日の下に晒し、人生に休む機会を与えません。

これといった「結論」も「光明」もない物語

父アーウェンは次男アーフーに心底うんざりしていたのでしょう。少年院から戻った彼と顔を合わせることを嫌って職場の教習所に寝泊まりしています。息子に対して正面から向き合ったコミュニケーションをとろうとしない夫の姿に妻は悲しみを募らせます。

そんなときアーウェンの夢に死んだ長男が現れます。「会いにきたんだ」と。その体験が父の何かを変えます。

映画の最後は、アーフーが「借りた自転車」の後ろに母親を乗せて走り出すシーンで終わります。彼女は空を見上げて「この世で一番公平な存在である太陽」を見つめます。

この一家がその後、どんな方向へ向かったのかはわかりません。映画「ひとつの太陽」の英語の題名は “A SUN”。

太陽は公平に照るかもしれません。しかしそんな太陽の下、幸福な人がいて、不幸せな人がいて、成功した金持ちもいれば、身を粉にして働いても貧しい暮らしの人もいます。公平であることが「幸い」につながるわけではないのです。しかし公平に照らされることで命をつなぐことができます。

ひとつの太陽がさまざまな命に息吹を与え、さまざまな人生を照らし出しています。しかし太陽は「私の人生」の正答を示してくれないし、鼻先のニンジンのような希望を与えてもくれません。

死んだ長男が感じていたかもしれない “ありがたさと表裏一体の絶望感” “それらとともに生きていく自分たち” を、母は見上げた空の太陽に感じていたのかもしれません。

映画紹介などを見ると “家族の崩壊と再生の物語” と書かれていることが多いのですが、そこまで言うほどの “再生” ではないと思います。家族それぞれの内面は変わったでしょうが「それでも変わらぬ人生が続く」というテイストを私は強く感じました。

国や設定は異なりますが、ざっくりで言うとベネズエラのこの映画と同系列かもしれません。

どん底の父子の再出発を描くベネズエラの映画「報復の街をあとに ペドロ12歳の旅立ち」
ベネズエラの首都カラカスの労働者階級地区に住むアンドレスと12歳の息子ペドロ。ある日ペドロが事件を起こし父親は彼を守るために奔走します。それが事実上崩壊気味だった父子関係に変化をもたらします。
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